もっと分かり易く聖書が書かれていたらいいのに…信者なら一度は思ったことはあるでしょう。旧約聖書に記された出来事や祭りが、実は『型』であったり、『影』であったりするということを発見していくこともまた、聖書の楽しみ方の一つなのかもしれません。
もしくは霊的成長に合わせて、読む度に発見できるようにと仕組まれた『奥義』なのかもしれません。今回はその中からのお裾分けです。
エゼキエル28:13ーあなたは神の園、エデンにいて、あらゆる宝石があなたをおおっていた。赤めのう、トパーズ、ダイヤモンド、緑柱石、しまめのう、碧玉、サファイヤ、トルコ玉、エメラルド。あなたのタンバリンと笛とは金で作られ、これらはあなたが造られた日に整えられていた。
堕落前のサタンが任されていたエデンの園…十種類の宝石類。
その回復のような天の都エルサレム…十四種類の宝石類。
黙示録21:18~21ーその城壁は碧玉で造られ、都は混じりけのないガラスに似た純金でできていた。
都の城壁の土台石はあらゆる宝石で飾られていた。第一の土台石は碧玉、第二はサファイヤ、第三は玉髄、第四は緑玉、
第五は赤縞めのう、第六は赤めのう、第七は貴かんらん石、第八は緑柱石、第九は黄玉、第十は緑玉髄、第十一は青玉、第十二は紫水晶であった。
また、十二の門は十二の真珠であった。どの門もそれぞれ一つの真珠からできていた。都の大通りは、透き通ったガラスのような純金であった。
創世記2:19ー神である主は土からあらゆる野の獣と、あらゆる空の鳥を形造り、それにどんな名を彼がつけるかを見るために、人のところに連れて来られた。人が生き物につける名はみな、それがその名となった。
人と動物との間に平和があった、アダムが置かれたエデンの園…人も動物も菜食。
その回復のような千年王国…動物は草食になる。
イザヤ11:6~9ー狼は子羊とともに宿り、ひょうは子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、小さい子どもがこれを追っていく。
雌牛と熊とは共に草をはみ、その子らは共に伏し、獅子も牛のようにわらを食う。
乳飲み子はコブラの穴の上で戯れ、乳離れした子はまむしの子に手を伸べる。
わたしの聖なる山のどこにおいても、これらは害を加えず、そこなわない。主を知ることが、海をおおう水のように、地を満たすからである。
創世記10:8ークシュはニムロデを生んだ。ニムロデは地上で最初の権力者となった。
創世記10:10ー彼の王国の初めは、バベル、エノク、アカデであって、みな、シヌアルの地にあった。
地上で最初の権力者、ニムロデ。*シヌアルの地=バビロンの地。
地上で最後の権力者、獣=反キリスト。*反キリストの国の首都もバビロン。
黙示録13:4ーそして、竜を拝んだ。獣に権威を与えたのが竜だからである。また彼らは獣をも拝んで、「だれがこの獣に比べられよう。だれがこれと戦うことができよう」と言った。
黙示録17:5ーその額には、意味の秘められた名が書かれていた。すなわち、「すべての淫婦と地の憎むべきものとの母、大バビロン。」という名であった。
創世記7:17aーそれから、大洪水が、四十日間、地の上にあった。
創世記7:23ーこうして、主は地上のすべての生き物を、人をはじめ、動物、はうもの、空の鳥に至るまで消し去った。それらは、地から消し去られた。ただノアと、彼といっしょに箱舟にいたものたちだけが残った。
次の裁きは『水』ではなく『火』によるもの。
その成就は、患難時代後半。
Ⅱ ペテロ3:6~7ー当時の世界は、その水により、洪水におおわれて滅びました。
しかし、今の天と地は、同じみことばによって、火に焼かれるためにとっておかれ、不敬虔な者どものさばきと滅びとの日まで、保たれているのです。
ルカ16:23~24ーその金持ちは、ハデスで苦しみながら目を上げると、アブラハムが、はるかかなたに見えた。しかも、そのふところにラザロが見えた。
彼は叫んで言った。『父アブラハムさま。私をあわれんでください。ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすように、ラザロをよこしてください。私はこの炎の中で、苦しくてたまりません。』
患難時代後半の裁きでは、ハデスやゲヘナ(地獄)と同じように、暗闇、炎熱、死が逃げていき、それでも人々は悔い改めようとしません。
黙示録16:8~11ー第四の御使いが鉢を太陽に向けてぶちまけた。すると、太陽は火で人々を焼くことを許された。
こうして、人々は激しい炎熱によって焼かれた。しかも、彼らは、これらの災害を支配する権威を持つ神の御名に対してけがしごとを言い、悔い改めて神をあがめることをしなかった。
第五の御使いが鉢を獣の座にぶちまけた。すると、獣の国は暗くなり、人々は苦しみのあまり舌をかんだ。
そして、その苦しみと、はれものとのゆえに、天の神に対してけがしごとを言い、自分の行いを悔い改めようとしなかった。
出エジプト記13:3~4ーモーセは民に言った。「奴隷の家であるエジプトから出て来たこの日を覚えていなさい。主が力強い御手で、あなたがたをそこから連れ出されたからである。種を入れたパンを食べてはならない。
アビブの月のこの日にあなたがたは出発する。
モーセに率いられエジプト脱出…影、『型』
それはヨセフが幼子イエスとその母を連れてエジプトから帰還する…本体。
マタイ2:19~21ーヘロデが死ぬと、見よ、主の使いが、夢でエジプトにいるヨセフに現れて、言った。
「立って、幼子とその母を連れて、イスラエルの地に行きなさい。幼子のいのちをつけねらっていた人たちは死にました。」
ヘブル9:7ー第二の幕屋には、大祭司だけが年に一度だけ入ります。そのとき、血を携えずに入るようなことはありません。その血は、自分のために、また、民が知らずに犯した罪のためにささげるものです。
律法により、大祭司が年に一度、血を携えて至聖所に入りました。
キリストは真の大祭司として、ご自分の血を携えてまことの至聖所に入られました。
大祭司は第一、第二の幕屋を通り、キリストはもろもろ(第一、第二)の天を通り、まことの聖所に入られました。
ヘブル9:11~12ーしかしキリストは、すでに成就したすばらしい事がらの大祭司として来られ、手で造った物でない、言い替えれば、この造られた物とは違った、さらに偉大な、さらに完全な幕屋を通り、
また、やぎと子牛との血によってではなく、ご自分の血によって、ただ一度、まことの聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられたのです。
ヘブル4:14ーさて、私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。
ユダの手紙5ーあなたがたは、すべてのことをすっかり知っているにしても、私はあなたがたに思い出させたいことがあるのです。それは主が、民をエジプトの地から救い出し、次に、信じない人々を滅ぼされたということです。
私たち信者も罪の世から救い出され、この世という荒野で生活している。やがて約束の地を受け継ぐが、御子を信じない者は、たましいの滅びであるハデスへ送られ、やがて肉体の復活後、火と硫黄との池に送られて永遠に苦しむことになります。
出エジプト記16:13~15ーそれから夕方になるとうずらが飛んで来て、宿営の回りに露が一面に降りた。
その一面の露が上がると、見よ、荒野の面には、地に降りた白い霜のような細かいもの、うろこのような細かいものがあった。
イスラエル人は、これを見て、「これは何だろう。」と互いに言った。彼らはそれが何か知らなかったからである。モーセは彼らに言った。「これは主があなたがたに食物として与えてくださったパンです。」
神は荒野で『マナ』を降らせ、イスラエルの民を養ってくださった。
やがて来る患難時代の後半に、イスラエルの残りの者『レムナント』は、エドム人の地ボツラ(現在の南ヨルダン、ペトラ)に避難する。何も無いその地で、神は再び彼らに『パン』を与えて養われる。
イザヤ33:13~16ー遠くの者よ。わたしのしたことを聞け。
近くの者よ。わたしの力を知れ。」
罪人たちはシオンでわななき、
神を敬わない者は恐怖に取りつかれる。
「私たちのうち、
だれが焼き尽くす火に耐えられよう。
私たちのうち、
だれがとこしえに燃える炉に耐えられよう。
正義を行なう者、まっすぐに語る者、
強奪による利得を退ける者、
手を振ってわいろを取らない者、
耳を閉じて血なまぐさいことを聞かない者、
目を閉じて悪いことを見ない者、
このような人は、高い所に住み、
そのとりでは岩の上の要害である。
彼のパンは与えられ、その水は確保される。
イザヤ41:17ー悩んでいる者や貧しい者が水を求めても
水はなく、
その舌は渇きで干からびるが、
わたし、主は彼らに答え、
イスラエルの神は、彼らを見捨てない。
イザヤ65:8~16ー主はこう仰せられる。
「ぶどうのふさの中に甘い汁があるのを見れば、
『それをそこなうな。その中に祝福があるから』
と言うように、
わたしも、わたしのしもべたちのために、
その全部は滅ぼさない。
わたしは、ヤコブから子孫を、
ユダからわたしの山々を所有する者を
生まれさせよう。
わたしの選んだ者がこれを所有し、
わたしのしもべたちがそこに住む。
わたしを求めたわたしの民にとって、
シャロンは羊の群れの牧場、
アコルの谷は牛の群れの伏す所となる。
しかし、あなたがた、主を捨てる者、
わたしの聖なる山を忘れる者、
ガドのために食卓を整える者、
メニのために、混ぜ合わせた酒を盛る者たちよ。
わたしはあなたがたを剣に渡す。
それであなたがたはみな、虐殺されて倒れる。
わたしが呼んでも答えず、
わたしが語りかけても聞かず、
わたしの目の前に悪を行い、
わたしの喜ばない事を選んだからだ。」
それゆえ、神である主はこう仰せられる。
「見よ。わたしのしもべたちは食べる。
しかし、あなたがたは飢える。
見よ。わたしのしもべたちは飲む。
しかし、あなたがたは渇く。
見よ。わたしのしもべたちは喜ぶ。
しかし、あなたがたは恥を見る。
見よ。わたしのしもべたちは 心の楽しみによって喜び歌う。
しかし、あなたがたは心の痛みによって叫び、
たましいの傷によって泣きわめく。
あなたがたは自分の名を、
わたしの選んだ者たちののろいとして残す。
それで神である主は、あなたがたを殺される。
ご自分のしもべたちを、
ほかの名で呼ばれるようにされる。
この世にあって祝福される者は、
まことの神によって祝福され、
この世にあって誓う者は、
まことの神によって誓う。
先の苦難は忘れられ、
わたしの目から隠されるからだ。
これらのことを通して、遂にイスラエルのレムナントは彼らのメシアである『イエス』を信じるようになります。その時、彼らの祈りに答えてキリストの地上再臨が起こるのです。
イザヤ41:20ー主の手がこのことをし、
イスラエルの聖なる者がこれを創造したことを、
彼らが見て知り、
心に留めて、共に悟るためである。
出エジプトの出来事は、『型』なのです!!
ダニエル7:10ー火の流れがこの方の前から流れ出ていた。幾千のものがこの方に仕え、幾万のものがその前に立っていた。さばく方が座に着き、幾つかの文書が開かれた。
黙示録20:12ーまた私は、死んだ人々が、大きい者も、小さい者も御座の前に立っているのを見た。そして、数々の書物が開かれた。また、別の一つの書物が開かれたが、それは、いのちの書であった。死んだ人々は、これらの書物に書きしるされているところに従って、自分の行いに応じてさばかれた。
不信者は神の裁きの座で、完璧な神の記憶の書という証拠を前に、優秀な弁護人イエス・キリストもつかない中で、自分で自分の無罪を立証しなければなりません。
どうやって『無罪』を勝ち取れると思うのでしょう…?
避けて通れないその時に、キリストの贖いを信じることはできません。
聖書はこんなにも私たちが知りたい肉体の死後の情報を提供し、救いへと招いてくれています。
死後の裁き、滅びである永遠の苦しみの場所から、私たちを救い出してくださったのは、キリストの十字架の贖いのみわざゆえ。そして、死に打ち勝ち復活してくださった。
イエスが『救い主』だと信じることこそが、たましいの救い、永遠のいのちへの秘訣です。
ガラテヤ3:24ーこうして、律法は私たちをキリストへ導くための私たちの養育係となりました。私たちが信仰によって義と認められるためなのです。
律法により罪が明らかになり、自分の努力では『義』と認められないこと、また、律法で定められた祭儀制度がすべてキリストにおいて成就している『型』となっています。
《春の祭り》
①過越の祭り…レビ記23:5→『キリストの十字架』において成就。
②種なしパンの祭り…レビ記23:6~8→『キリストの葬り』において成就。
③初穂の祭り…レビ記23:9~14→『キリストの復活』において成就。
④七週の祭り…レビ記23:15~21→『もうひとりの助け主である聖霊降臨』において成就。
《秋の祭り》
⑤ラッパの祭り…レビ記23:24~25→『花婿なるキリストのお迎え/携挙』において成就。
⑥贖罪の日…レビ記23:27~32→『神の御国/メシア的王国(千年王国)に入る前の七年間の患難時代』において成就。
⑦仮庵の祭り…レビ記23:34~43→『メシア的王国/千年王国』において成就。
このように聖書は旧約と新約が絡み合い、繋がっていることがわかります。それをぶつ切りにして文脈を無視した解釈をし、全て現代を生きる自分中心に当てはめ、自分の励ましや慰めだけを求めようとすると、いつまで経っても本当の意味がわからないままになります。
聖書は神の御子キリスト・イエスを中心に読み解くべきです。そのときすべてが繋がって、一番おもしろく、恵みに満ちた本となります。
みことばをまっすぐに説き明かしていくとき、未信者は救いに導かれ、者は霊的に成長していくのです。