5~6節では、『神に喜ばれる人生』を通して、エノクの信仰が明らかにされています。
ヘブル11:5ー信仰によって、エノクは死を見ることのないように移されました。神に移されて、見えなくなりました。移される前に、彼は神に喜ばれていることが、あかしされていました。
*信仰によって、エノクは死を見ることのないように移され…『神が移されたので、彼は見つからなかった』の意。
創世記5:24ーエノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。
*神が彼を取られたので、彼はいなくなった…ヘブル語の正確な翻訳では、『彼はそこにいた。そしてそれから、彼はもうそこにはいなかった。』となります。
なぜなら『神が彼を移したからである』と…つまり、神はエノクを地上から天へ移されたのです。
『移す』という行為は、地上から天へ『携挙』されるということを含みます。
それは単に、地理的に天に移されるという意味ではなく、からだが変えられることを意味します。
朽ちるものが朽ちないものに、死ぬべきものが死なないものに変化するということです。
エノクは天へ移されたので、『死ぬために地上へ絶対に戻っては来ない』ということを意味するのです。
つまり、エノクは黙示録11章の『二人の証人』のひとりではあり得ない!ということです。
*神に喜ばれていることが、あかしされていました…エノクは、アベルのように『あかしされていました』。
あかししてくださったのは、神であり『神がエノクを喜んでいた』ことをあかししてくださったのです。
創世記5:22~23ーエノクはメトシェラを生んで後、三百年、神とともに歩んだ。そして、息子、娘たちを生んだ。
エノクの一生は三百六十五年であった。
*神とともに歩んだ…『神がエノクを喜ばれていた』理由。
著者がこれらの節で言わんとしていることは、『信仰がなくては、神に喜ばれることはできない』ということです。
エノクが神に喜ばれていたのは、彼には『信仰があった』からです。
創世記5章はアダムから始まり、ノアまで記されています。エノクとノア以外はみな、『◯年生き、△△を生み、△△を生んで後、◯年生きて、死んだ』と記されています。
いつ、エノクは『神とともに歩む』ようになったのでしょう?
『メトシェラを生んで後、三百年、神とともに歩んだ』ー創世記5:22ーにあります。
息子メトシェラの誕生〜新しい生命の誕生〜を機に、神とともに歩むようになりました。
*メトシェラ…『彼が死ぬとそれらは送られてくる』の意。
メトシェラは965年生きました。5章の登場人物の中で最長です。
ここには神様の忍耐もあるように思えてなりません。なぜなら『ノアの洪水』は、メトシェラが死んだ年に起こったからです。
つまり、メトシェラが生きている間は、人々の悔い改めの期間でもあったのです。
ヘブル11:6ー信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。
神に近づく者は、二つのことを信じなくてはなりません。
①神がおられること…神の存在を信じなくてはならないー信仰への第一歩。
②神を求める者には報いてくださる方であること… 信仰の第一段階。
エノクは、神とともに歩んだ良い例です。