先日、聖餐式についてこんな質問をしてみました。
「キリストの命令である聖餐式は、いつまでやり続ける必要がある?」
答えは三択で、結果は以下のとおりでした。
A)教会時代の終わりー携挙まで…44%
B)患難時代の終わりー地上再臨まで…28%
C)千年王国の終わりまでー28%
聖餐式ではどこの教会でも、1コリント11:23~28が読まれると思います。
1コリント11:23~28ー私は主から受けたことを、あなたがたに伝えたのです。すなわち、主イエスは、渡されるよる、パンを取り、
感謝をささげて後、それを裂き、こう言われました。「これはあなたがたのためのわたしのからだです。わたしを覚えて、これを行ないなさい。
夕食の後、杯をも同じようにして言われました。「この杯は、わたしの血による新しい契約です。これを飲むたびに、わたしを覚えて、これを行ないなさい。」
ですから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです。
したがって、もし、ふさわしくないままでパンを食べ、主の杯を飲む者があれば、主のからだと血に対して罪を犯すことになります。
ですから、ひとりひとりが自分を吟味して、そのうえでパンを食べ、杯を飲みなさい。
これは『異邦人の使徒』となったパウロのことばです。
*主が来られるまで…これが『聖餐式』を続ける期限です。
問題は、この『主が来られる』というのは、どのタイミングを指すのか?ということですが、現在の教会時代は、どこの教会でも(異端の教会でさえも)聖餐式を行なっているわけです。
では、真の信者である『良い麦』の刈り入れである『携挙』の時まででしょうか?
いいえ。
なぜなら、患難時代前半の3年半には世界大でのリバイバルが起こり、多くの異邦人が救われます。その人々も『聖餐式』は行うことになります。彼らのうちの多くは迫害によって死にますが、地上再臨直後の『羊と山羊の裁き』で『羊組』として生き残る患難時代の聖徒たちもいますから、その人たちは患難時代後半も聖餐式は続けて守るようになるでしょう。
つまり、『主が来られるときまで』という聖餐式は患難時代の終わりのキリストの地上再臨の時まで、キリストを信じる者たちが守るべきものだということです。
患難時代の飢饉の時にも、ぶどう酒は守られるところに主の恵みがあると思います。
黙示録6:6ーすると私は、一つの声のようなものが、四つの生き物の間で、こう言うのを聞いた。「小麦一枡は一デナリ。大麦三枡も一デナリ。オリーブ油とぶどう酒に害を与えてはいけない。」
しかし、患難時代中期になると、反キリストによって「反キリストの獣の像を拝まない者はみな殺せ。」という命令が出されますから、人々は反キリストの像を拝むか、拝まないかの二者択一を迫られます。
そして、反キリストを神として拝む者には、しるしとして右手が額に『666』の刻印が押されます。この刻印を持つ者だけが、売買ができるという社会になるので、目先の生活だけにとらわれている人々は押してしまうでしょう。黙示録14:14~18
しかし、この刻印を押された者はそれ以降、救いの機会のない肉体が生きながらも『不信者』として残りの3年半を生きることになり(ある人々は、神の裁きによって命を落とす)、生き延びても『羊と山羊の裁き』で『山羊組』として再臨のキリストの滅ぼされてしまいます。
患難時代後半(最後の三日間)は、イスラエルのレムナントの救いになります。
彼らが民族的にイエスをメシアとして受け入れ、回心する時、詩篇118:25~26の『ホサナ』の祈りを文字どおりの意味で祈ると、その祈りに答えてキリストの地上再臨が起こります。
詩篇118:25~26ーああ、主よ。*どうぞ救ってください。*ヘブル語:ホサナ
ああ、主よ。どうぞ栄えさせてください。
主の御名によって来る人に、祝福があるように。
私たちは主の家から、あなたがたを祝福した。
マタイ21:9ーそして、群衆は、イエスの前を行く者も、あとに従う者も、こう言って叫んでいた。
「ダビデの子にホサナ。
祝福あれ。主の御名によって来られる方に。
ホサナ。いと高き所に。」
とありますが、この時の群衆はすでに民族としてイエスのメシア性を拒否し、イエスを誤解し、ローマから解放してくれる政治的王として迎え入れていました。
そのため、同じ詩篇118:25~76を用いて迎え入れていても、その意味することが違ったので『神の御国/千年王国』はすぐには来なかったのです。
ユダヤ人の使徒となったマタイは、『最後の晩餐』ー*レオナルド・ダ・ヴィンチの作品名。聖書では常に“過越の食事”と表記されている…マタイ26:17, 19, マルコ14:12, 14, 16, ルカ22:8, 11, 13, 15~16, ヨハネ18:28 ーと言われる主の十字架前の『過越の食事』を主と共にしています。
マタイ26:17~19ーさて、種なしパンの祝いの第一日に、弟子たちがイエスのところに来て言った。「過越の食事をなさるのに、私たちはどこで用意をしましょうか。
イエスは言われた。「都にはいって、これこれの人のところに行って、『先生が「わたしの時が近づいた。わたしの弟子たちといっしょに、あなたのところで過越を守ろう。」と言っておられる。』と言いなさい。」
そこで、弟子たちはイエスに言いつけられたとおりにして、過越の食事の用意をした。
*本来、この食事を『最後の晩餐』と呼ぶと、旧約聖書の『過越の祭りの食事』と切り離されてイメージされてしまい、特に律法を与えられていない異邦人には、その内容が伝わり難くなってしまいます。
きちんと聖書的に『過越の食事』と呼ぶべきではないかと、個人的には思います。それにより、食事の内容と意味、聖餐式の教えがどのタイミングで教えられたのかが理解できるようになるからです。
過越の祭りは、キリストの十字架の型です。
『過越の食事』のしきたりによれば、パンの教えはメインコースの後に行われました。
二つに裂いた半分の『種なしパン』を亜麻布に包んで隠しておいた物を取り出した、アフィコーメンの儀式での教えです。それは、たましいとからだの分離という『肉体の死』により、イエスの『からだ』は墓に葬られ、分離したたましいの方は『その霊において、キリストは捕らわれの霊たちのところに行って(*みことばを)宣べられたのです。ー1ペテロ3:19』ということをよく表していると思います。*みことばを…原文にはありません。翻訳者による挿入です。
マタイ26:26ーまた、彼らが食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福して後、これを裂き、弟子たちに与えて言われた。「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」
『亜麻布に包んだパンを取り出す』という行為は、キリストの復活を象徴しています。
キリストのからだも、亜麻布にくるんで葬られました。
ですから、『パンの教え』というのは、復活の予告でもあったのです。
それを取って食べるというのは、自分の罪の身代わりとして死に、復活してくださるキリストを受け入れるということを意味します。
マタイ26:27ーまた杯を取り、感謝をささげて後、こう言って彼らにお与えになった。「みな、この杯から飲みなさい。
これは『第三の杯ー贖いの杯』をいただく時の教えです。
イエスは私たち全人類の罪の身代わりとなって、十字架で血を流されました。
それを取って飲むということは、キリストの贖いを自分のこととして受け入れることを意味します。
マタイ26:28ーこれは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。
*契約の血…古い契約である『モーセ契約』は、モーセが契約の書を民に読んで聞かせ、民の同意を得た時に、雄牛の血を祭壇と民に注ぎかけた時に有効となりました。
出エジプト記24:5~8ーそれから、彼はイスラエル人の若者を遣わしたので、彼らは全焼のいけにえをささげ、また、和解のいけにえとして雄牛を主にささげた。
モーセはその血の半分を取って、鉢に入れ、残りの半分を祭壇に注ぎかけた。
そして契約の書を取り、民に読んで聞かせた。すると、彼らは言った。「主の仰せられたことはみな行ない、聞き従います。」
そこでモーセはその血を取って、民に注ぎかけ、そして言った。「見よ。これは、これらすべてのことばに関して、主があなたがたと結ばれる契約の血である。」
それと同じように、『新しい 契約』も神の小羊イエスの血によって有効となったのです。それによって、私たちの罪はすべて、神の御前に赦されるのです。
マタイ26:29ーただ、言っておきます。わたしの父の御国で、あなたがたと新しく飲むその日までは、わたしはもはや、ぶどうの実で造った物を飲むことはありません。」
*わたしの父の御国…イエスがこのとこを語ったのは、まだ十字架にかかられる前ですから、時代は旧約の律法による時代です。ですから『わたしの父の御国』とは、『千年王国/メシア的王国』を指すことばであり、この地上の御国のことです。永遠の秩序の完成された天の御国のことではありません。永遠の御国は、ヨハネの黙示録21~22章まで奥義として隠されています。
*あなたがたと新しく飲むその日…千年王国では、地上再臨されたキリストも弟子たちと共に『ぶどうの実で造った物を飲む』ようになります。
千年王国/メシア的王国を『型』として表しているのが、仮庵の祭りです。
神の御子が、再び復活した『人の子』として仮の姿で千年間、地上で私たちと共に住んでくださる期間です。
また、患難時代の終わりにメシアに立ち返ったユダヤ人たちと異邦人諸国が、メシア的王国で守るべき祭りとなります。
ゼカリヤ14:16ーエルサレムに攻めて来たすべての民のうち、生き残った者はみな、毎年、万軍の主である王を礼拝し、仮庵の祭りを祝うために上って来る。
*生き残った者…患難時代を生き延びて『羊組』になった異邦人
*万軍の主である王…再臨のキリスト・イエス
*仮庵の祭り…千年王国にて守るべき祭り
ゼカリヤ14:17ー地上の諸氏族のうち、万軍の主である王を礼拝しにエルサレムへ上って来ない氏族の上には、雨が降らない。
*地上の諸氏族…千年王国における異邦人諸国
仮庵の祭りに巡礼団を出さない国があれば、その国にはその年、雨が降らなくなり、農作物の収穫に影響が出るということ。
ゼカリヤ14:18ーもし、エジプトの氏族が上って来ないなら、雨は彼らの上に降らず、仮庵の祭りを祝いに上って来ない諸国の民を主が打つその災害が彼らに下る。
*エジプト…その例として『エジプト』が挙げられている
(エジプトは歴史上最初に反ユダヤ主義を政策に導入した国)
ゼカリヤ14:19ーこれが、エジプトへの刑罰となり、仮庵の祭りを祝いに上って来ないすべての国々への刑罰となる。
*仮庵の祭り…千年王国では、聖餐式の代わりに『神の小羊』がしてくださったみわざを覚えるものとなります。