マタイ1:6~7ーエッサイにダビデが生まれた。
ダビデにウリヤの妻によってソロモンが生まれ、
ソロモンにレハブアムが生まれ、レハブアムにアビヤが生まれ、アビヤにアサが生まれ、
マタイ1:11~12ーヨシヤに、バビロン移住のころエコニヤとその兄弟たちが生まれた。
バビロン移住の後、エコニヤにサラテルが生まれ、サラテルにゾロバベルが生まれ、
*注目は、6~7節の『ソロモン』と11~12節の『エコヌヤ』、そして『ゾロバベル』の三人です。
あまり知られてはいませんが…
『ダビデ→ソロモン→エコヌ(ニ)ヤ』の家系には、重大な預言がなされていました。
エレミヤ22:28~30には、『ソロモン→エコヌヤの家系からメシアは出ない』ことが預言されています。
エレミヤ22:28~30ーこのエコヌヤという人は、さげすまれて砕かれる像なのか。それとも、だれにも喜ばれない器なのか。なぜ、彼と、その子孫は投げ捨てられて、見も知らぬ国に投げやられるのか。
地よ、地よ、地よ。主のことばを聞け。
主はこう仰せられる。「この人を『子を残さず、一生栄えない男』と記録せよ。彼の子孫のうちひとりも、ダビデの王座に着いて、栄え、再びユダを治める者はいないからだ。」
*エコヌヤ…エホヤキン王のこと。
『エホヤキン』が即位後の王としての名称であるに対し、『エコヌヤ』は個人名。
*エホヤキン王(エコヌヤ/エコニヤ)…父エホヤキムが死に、息子のエホヤキンが18歳で王として即位すると、バビロンの王ネブカデネザルは直ちに行動を起こし、エルサレムを攻め、わずか3ヶ月で降伏させたため、エホヤキン王の統治は、たった3ヶ月と10日間でした。
BC597年、第二次バビロン捕囚にエホヤキンとその家族、王族、有能な者たち1万人が、バビロンに連行された。
エホヤキン(エコヌヤ)のバビロンでの様子を列王記の筆者(不明)とエレミヤ書を記したバルクが証言しています。
Ⅱ 列王記25:27~30ーユダの王エホヤキンが捕らえ移されて三十七年目の第十二の月の二十七日に、バビロンの王エビル・メロダクは、彼が王となったその年のうちに、ユダの王エホヤキンを牢獄から釈放し、
彼に優しいことばをかけ、彼の位をバビロンで彼とともにいた王たちの位よりも高くした。
彼は囚人の服を着替え、その一生の間、いつも王の前で食事をした。
彼の生活費は、その一生の間、日々の分をいつも王から支給されていた。
エレミヤ52:31~34ーユダの王エホヤキンが捕らえ移されて三十七年目の第十二の月の二十五日に、バビロンの王エビル・メロダクは、彼が即位した年のうちに、ユダの王エホヤキンを釈放し、獄屋から出し、
彼に優しいことばをかけ、彼の位をバビロンで彼とともにいた王たちの位よりも高くした。
彼は囚人の服を着替え、その一生の間、いつも王の前で食事をした。
彼の生活費は、死ぬ日までその一生の間、日々の分をいつもバビロンの王から支給されていた。
バビロンのネブカデネザルの息子エビル・メロダクが即位した年に、王の権威を保持するために恩赦が与えられました。それにより、エホヤキンは獄舎から出され、その後はバビロンの王の保護のもとに一生を過ごしたとあります。
『イスラエルの王』になるには『油そそぎ』が必要です。しかも『イスラエルの王』は、神の選びによりユダ族のダビデの家系からしかなることはできません。
その地位に対する神の選びの意味と責任をわきまえなくてはならないのです。
しかし、エホヤキン(エコヌヤ)は南ユダ王国の民がバビロン捕囚となっている最中、自分だけバビロンの王とともに食卓につき、一生の間生活費を得ていました。
エホヤキンたちよりも8年早いBC605年、第一回バビロン捕囚の時に連れて来られた『ダニエル、ハナヌヤ、ミシャエル、アザルヤ』たち四人は、バビロンの養育を受ける際、バビロンの王の食べるご馳走を拒否し、穀物類を含む野菜と水を与えてくれるように頼みました。
ダニエル1:5ー王は、王の食べるごちそうと王の飲むぶどう酒から、毎日の分を彼らに割り当て、三年間、彼らを養育することにし、そのあとで彼らが王に仕えるようにした。
ダニエル1:8ーダニエルは、王の食べるごちそうや王の飲むぶどう酒で身を汚すまいと心に定め、身を汚さないようにさせてくれ、と宦官の長に願った。
*身を汚さないように…バビロンは偶像崇拝の本拠地とも言える地ですから、王の食べるごちそうも王の飲むぶどう酒も、偶像崇拝との関係がありました。
また、バビロン捕囚という身であってもイスラエルの民には『律法』が与えられていましたから、食物規定があり、食べても良い物と彼らにとっては汚れた食物がありました。
バビロンの王から支給される飲食物をそのまま受け入れるということは、律法違反になる可能性が高かったため、ダニエルたちはそれを避けたのです。
その決断は、彼らの信仰によるものです。
ダニエル1:12ー「どうか十日間、しもべたちをためしてください。私たちに野菜を与えて食べさせ、水を与えて飲ませてください。
ダニエル1:14~16ー世話役は彼らのこの申し出を聞き入れて、十日間、彼らをためしてみた。
十日の終わりになると、彼らの顔色は、王の食べるごちそうを食べているどの少年よりも良く、からだも肥えていた。
そこで世話役は、彼らの食べるはずだったごちそうと、飲むはずだったぶどう酒とを取りやめて、彼らに野菜を与えることにした。
しかし、ダニエルたちとほぼ同年代であったエホヤキン(捕囚当時18歳、バビロンの王と食事を共にするようになったのは55歳頃)には、ダニエルたちのような信仰がなかったのでしょう。
神の律法が与えられている『ユダヤ人の王』としての自覚がなかったため、バビロンの王からの甘い誘惑にのってしまったエホヤキンの家系から『ダビデの王座』が取り上げられてしまいました。
だから、マタイの福音書の『イエスの養父ヨセフ』の系図は
ダビデ→ソロモン→エコヌヤ(エホヤキン)の子孫であるヨセフの家系からは、メシアである御子イエスの誕生はあり得ない、
『人々からヨセフの子と思われていたイエスは、実はヨセフの血を継いだ子どもではない』ということを証明しているのです。
*マタイの福音書1:12~13のエコヌヤの子孫ゾロバベル…バビロン捕囚後、第二神殿を建てたゾロバベル(“バビロンの種”の意)ですが、ルカの福音書に登場する『ソロバベルの子、サラテルの子』とは同名別人です。
エコヌヤの子孫である『ゾロバベル』は、バビロン捕囚から帰還後の第二神殿建設の際、『ユダの総督ゼルバベル』と同一人物ですが、彼は『ユダの王』になることはありませんでした。
ハガイ1:1ーダリヨス王の第二年の第六の月の一日に、預言者ハガイを通して、シェアルティエルの子、ユダの総督ゼルバベルとエホツァダクの子、大祭司ヨシュアとに、次のような主のことばがあった。
ハガイ1:6ー山に登り、木を運んで来て、宮を建てよ。そうすれば、わたしはそれを喜び、わたしの栄光を現わそう。主は仰せられる。
このような主の命令により建てられた第二神殿(後にヘロデ大王が大改修工事を行なった)がある間に、神の御子イエスが『メシア』として、神の栄光を携えて来られたのです。
初臨時のイスラエルの民がイエスをメシアとして受け入れたなら『神の御国』はすぐに来るはずでした。
しかし、彼らは民族としてイエスのメシア性を拒否したために『神の国』は彼らから取り去られ、次に『神の国』がユダヤ人に近くなるのが『患難時代』となるわけです。
ルカの福音書3章にある系図は、イエスの母マリヤの系図であり『ダビデ→ソロモンの兄弟ナタン→マリヤ→王の王として再臨されるイエス』へと繋がります。
それは『患難時代のイスラエルのレムナント』となるユダヤ人たちの民族的回心の結果起こることなのです。だからこそ、「キリストの御国が来ますように。」と祈る者は、ユダヤ人たちの救いを祈る必要があるのです。
彼らは神に捨てられたのではありません。
預言者イザヤは、彼らが回心することを預言しています。
イザヤ10:21ー残りの者、ヤコブの残りの者は、
力ある神に立ち返る。
*残りの者…レムナント。イスラエルの残りの者、のこと。ゼカリヤ13:8~9
*力ある神…イエス。イザヤ9:6
イスラエルのために、ユダヤ人の救いを祈る異邦人信者が増えますように…祈。