『時代』の定義とは何でしょう?
それは、『始まりがあり、終わりがある』ということです。
アダムは造られるとすぐエデンの園に置かれました。その時からエデンの園を追放されるまでが、『無垢の時代』です。
善悪を神の基準ではなく、自分自身で決めるようになり、エデンの園を追放されてからは『良心の時代』となりましたが、
創世記6:5ー主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった。
そのため、神はノアの洪水をもって良心の時代は終わりました。
ノアの洪水後は、死刑制度が導入され『人間の政府による統治の時代』となりました。
ノア契約のしるしである虹は現在でもかかるため、人間の政府による統治の時代は患難時代中期まで続きます。(患難時代後半は、反キリストが世界を治めることになります。)
ノア契約で初めて肉食が許可されました。
創世記9:3ー生きて動いているものはみな、あなたがたの食物である。緑の草と同じように、すべてのものをあなたがたに与えた。
神がイスラエルとモーセ契約を締結されるまでは、人類はこの食物規定の中にいました。
神はそのアブラハムに、子孫・土地・祝福の三つの約束を与えられました。これがアブラハム契約であり、その成就は千年王国においてになるので、この契約は現在でも有効であり、『約束の時代』の中にいます。
子孫と土地の約束は、イスラエル民族に対してのみですが、祝福の約束に関しては、キリストの福音を信じて神の子どもとされた異邦人信者にも、霊的祝福が及びます。
モーセ契約の律法により、イスラエル民族にだけ特別な食物規定が追加されました。
それは、異邦人と食卓を共にし、異邦人と親しくなり、雑婚することのないようにするためでした。(食事を共にすることが親しくなる方法であることは、デートや友人関係からもわかりますよね。)
出エジプト記20:2ー「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。

これがモーセの律法の第一戒です。ここからモーセの律法は異邦人にではなく、イスラエル民族に与えられたものであることがわかります。
この区別がつかないが故に、私たち異邦人も十戒を守るべきだとか、安息日を守りなさいとか、什一献金をしなさいとかの間違った教えにとらわれて苦しむことになります。
シナイ山で神が雄牛の血によってイスラエルとモーセ契約を締結されてから、キリストが十字架で神の小羊の血による新しい契約が締結されるまでが『律法の時代』です。
しかし、モーセの律法を守ると救われるというのではなく、エジプトの奴隷生活から救い出されたイスラエルの民が、神の選びの民として、また、自由人としての生き方を指南したのが、613あるモーセの律法でした。
律法の時代の救いの条件は、二つ。
イザヤ43:10~11ーあなたがたはわたしの証人、--主の御告げ--わたしが選んだわたしのしもべである。これは、あなたがたが知って、わたしを信じ、わたしがその者であることを悟るためだ。わたしより先に造られた神はなく、わたしより後にもない。
わたし、このわたしが、主であって、わたしのほかに救い主はいない。
①イスラエルの神が、唯一まことの神であること
②イスラエルの神が、唯一まことの救い主であること
を信じる者は、イスラエル民族だけでなく、異邦人も救われました。その良い例が、カナン人の遊女ラハブであり、ルツ記のルツです。
二人ともメシアの系図に名を連ねることになったのは、信仰の故でした。
これらのことから分かることは、「福音を信じて救われても、良い行ないがなければ救いを失う」というのは、誤った教えだということです。
奴隷生活から救われたイスラエル民族は、その後、幾度も不信仰を繰り返しましたが、救いを失って再びエジプトに奴隷として戻されることは一度もありませんでした。
ローマ10:4ーキリストが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです。
キリストの十字架の死(神の小羊の血)により、モーセ契約は破棄され、新しい契約が締結されてから『新約時代』に入りました。
その中でも特に、五旬節で信者に聖霊が降臨され、主に異邦人が救われる『教会時代』が始まりました。
患難時代前のキリストの空中再臨(携挙)で教会時代は終わります。
キリストの十字架の死から五旬節(ペンテコステ)までは、律法の時代から教会時代への移行期です。
次の『患難時代』の始まりは、反キリストとイスラエル国家の七年間の平和条約締結なので、キリストの空中再臨(携挙)から患難時代の幕開けまでが、教会時代から患難時代への移行期となります。
黙示録20:4ーまた私は、多くの座を見た。彼らはその上にすわった。そしてさばきを行う権威が彼らに与えられた。また私は、イエスのあかしと神のことばとのゆえに首をはねられた人たちのたましいと、獣やその像を拝まず、その額や手に獣の刻印を押されなかった人たちを見た。彼らは生き返って、キリストとともに、千年の間王となった。
※新改訳2,017年度版は、誤訳なので要注意!
患難時代前半の三年半は、患難時代の異邦人信者たちが世界統一宗教となった偽りのキリスト教徒たちによって迫害されます。
*イエスのあかしと神のことばとのゆえに首をはねられた人たち…これが患難時代前半の迫害による殉教の理由です。
携挙の恵みに漏れ、患難時代を通過する異邦人たちの救いの機会は中期までです。
黙示録13:15~16ーそれから、その獣の像に息を吹き込んで、獣の像がもの言うことさえもできるようにし、また、その獣の像を拝まない者をみな殺させた。
また、小さい者にも、大きい者にも、富んでいる者にも、貧しい者にも、自由人にも、奴隷にも、すべての人々にその右の手かその額かに、刻印を受けさせた。
反キリストの偶像を拝む者は神ではなく、サタンに属する者としてのしるしとなる刻印を押されます。この刻印を押された者は、神による救いの機会を永遠に失うことになるため、患難時代の異邦人の救いの機会は中期までです。
なので、黙示録20:4の
*獣やその像を拝まず、その額や手に獣の刻印を押されなかった人たち…とは、患難時代後半の殉教者たちのことです。
この時点ではイスラエルの民は、まだイエスがメシアであるとは信じてはおらず、ユダヤ教徒としてモーセの契約に基づく生活をしているので、 第二戒の偶像崇拝禁止令に従って反キリストの偶像礼拝を拒否します。
イスラエルの民が民族的にメシア受容をするとキリストの地上再臨が起こり、患難時代は終わります。
ダニエル書の預言から、患難時代から御国の時代(千年王国)への移行期は75日間だということがわかります。
ダニエル12:11~12ー常供のささげ物が取り除かれ、荒らす忌むべきものが据えられる時から千二百九十日がある。
幸いなことよ。忍んで待ち、千三百三十五日に達する者は。
新しい契約が、エレミヤの預言どおり文字通りのイスラエル民族の上に成就するのは、『御国の時代』です。
御国の時代は、再臨のキリストが王の王として千年王国のエルサレムに入城すると始まり、サタンと死を滅ぼすと終わります。
その後は、完成された神の国、新しい都エルサレムが第三の天から降りて来て、終わりのない『永遠の秩序』となり、三位一体の神、聖なる御使い、すべての時代の信者たちが永遠に住まうことになります。
このような時代区分ができないと、どの時代に生きている人、イスラエル民族、または異邦人たちが、どの神の命令に従うべきなのかを読み解くことができなくなります。
時代にそぐわない命令を守ることは、苦痛にしかなりません。
モーセの律法、キリストの律法、御国の律法などの区別が必要です。たとえば、
申命記16:16ーあなたのうちの男子はみな、年に三度、種を入れないパンの祭り、七週の祭り、仮庵の祭りのときに、あなたの神、主の選ぶ場所で、御前に出なければならない。主の前には、何も持たずに出てはならない。
このモーセの律法では、イスラエル人の成人男子に課せられた礼拝は年に三度でした。
ところが、ゼカリヤ書では異邦人諸国にも仮庵の祭りに礼拝に来るようにという命令があります。
ゼカリヤ14:16~17ーエルサレムに攻めて来たすべての民のうち、生き残った者はみな、毎年、万軍の主である王を礼拝し、仮庵の祭りを祝うために上って来る。
地上の諸氏族のうち、万軍の主である王を礼拝しにエルサレムへ上って来ない氏族の上には、雨が降らない。
現在のエルサレムには神殿がないので、上って行っても礼拝する場所がありません。
患難時代は第三神殿は建っているものの、前半の三年半は世界統一宗教による迫害の時代のため、異邦人諸国はエルサレムに巡礼団を出すことはできません。
イスラエルだけが反キリストとの平和条約の故に、モーセの律法による動物のいけにえとささげ物をして礼拝が可能ですが、後半の三年半はそれも禁じられます。
「異邦人諸国も仮庵の祭りに礼拝するように」という命令は、千年王国に建つ御国の神殿における『御国の律法』です。
キリストの律法は、教会時代のユダヤ人信者と異邦人信者に命じられたものです。
御国の律法は、千年王国の住民に命じられるものです。
この区別がつかないと、神の命令を正しく行うことは不可能です。
教会時代の信者である私たち異邦人にモーセの律法を守るように教える者は、聖書を正しく理解していません。そのような指導者たちは、ガラテヤ書でパウロが記している偽教師であり、律法主義者たちです。
マタイ24:4ーそこで、イエスは彼らに答えて言われた。「人に惑わされないように気をつけなさい。