『安息日』ということばが初めて使われているのは、出エジプト記20章でモーセの『十戒』として知られる律法の中でです。
ここでの命令は、『聖なる日とせよ』というものです。
では、具体的に何をする日なのでしょう?
出エジプト記20:9~11- 六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。
しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。――あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も――
それは主が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。
*どんな仕事もしてはならない…イスラエルの民にとってエジプトでの400年間は、辛い奴隷生活でした。奴隷とは、主人の命令に従って週七日休みなく働く者ですが 、出エジプトをしたイスラエルの民は、もはやエジプトの奴隷ではなく、『週に一度 仕事を休むことのできる自由人』として生きる者とされました。
エジプトとのもう一つの違いは、『あなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も』すべて休むことが命じられていることです。
出エジプト記30:15-六日間は仕事をしてもよい。しかし、七日目は、主の聖なる全き休みの安息日である。安息の日に仕事をする者は、だれでも必ず殺されなければならない。
*安息の日に仕事をする者は、だれでも必ず殺されなければならない …しかも、『仕事を休め』という命令には、重い罰則が伴いました。
安息日の命令を破り、仕事をすると、石打の刑に処せられました。
民数記15:32~36ーイスラエル人が荒野にいたとき、安息日に、たきぎを集めている男を見つけた。
たきぎを集めているのを見つけた者たちは、その者をモーセとアロンおよび全会衆のところに連れて来た。
しかし彼をどうすべきか、はっきりと示されていなかったので、その者を監禁しておいた。
すると、主はモーセに言われた。「この者は必ず殺されなければならない。全会衆は宿営の外で、彼を石で打ち殺さなければならない。」
そこで、主がモーセに命じられたように、全会衆はその者を宿営の外に連れ出し、彼を石で打ち殺した。
レビ記19:30-あなたがたは、わたしの安息日を守り、わたしの聖所を恐れなければならない。わたしは主である。
*安息日を守り、わたしの聖所を恐れなければならない…それは、安息日に仕事をすることは、心が主なる神以外のものに向いていることになるからです。
あなたがたが聖なる会合として召集する主の例祭、すなわちわたしの例祭は次のとおりである。
六日間は仕事をしてもよい。しかし七日目は全き休みの安息、聖なる会合の日である。あなたがたは、いっさいの仕事をしてはならない。この日はあなたがたがどこに住んでいても主の安息日である。
*【主】の例祭…レビ記23:5~44にある『イスラエル七つの祭り』のこと。
②レビ記23:6~8…種なしパンの祭り⇨罪(パン種)の無い者として、キリストの葬りの型
③レビ記23:10~14…初穂の祭り⇨キリストの復活の型
⑤レビ記23:24~25…ラッパの祭り⇨携挙の型
⑥レビ記23:27~32…贖罪の日⇨七年間の患難時代の型
*聖なる会合の日… 律法によりユダヤ人に課せられた命令。『例祭』とは区別され、ユダヤ人はどこに住んでいようとも週に一度、七日目に仕事を休み、民家もしくは会堂(=シナゴーグ)に集まる日のこと。
奴隷生活をしていたエジプトからイスラエルの民を救い出してくださった神を覚え、自由人として生きるための指針である律法を覚え、感謝する日です。
申命記5:15ーあなたは、自分がエジプトの地で奴隷であったこと、そして、あなたの神、主が力強い御手と伸べられた腕とをもって、あなたをそこから連れ出されたことを覚えていなければならない。それゆえ、あなたの神、主は、安息日を守るよう、あなたに命じられたのである。
『安息』の三つの意味
①天地創造の安息…わざの完了の意味。
信者は死ぬと地上生涯における働きを終え、この安息に入ります。
②カナンでの安息…敵との闘争を終え、約束の土地を所有し、土地の祝福を楽しむこと。
信者が神のみこころに従って生きることで得られる安息。
③安息の休み…霊的安息、または信仰による安息の人生の意味。
信者の地上生涯での霊的成熟による安息の獲得と将来の『メシア的王国/千年王国』での安息。
*日曜日毎に地域教会でもたれる『礼拝』を安息日として適用される方がおられますが、そのような意味はありません。
律法で定められた『安息』の命令は、エジプトで奴隷生活を経験したイスラエルの民に対するものであって、教会時代の異邦人信者に対するのもではありません。
なぜ、聖書は三つの言語で書かれたのか?…を考えてみると、
【旧約聖書】
ヘブル語:ユダヤ人宛て
アラム語:異邦人宛て(エズラ記4:8~6:18, 7:12~26, ダニエル書2:4~7:28)
エズラ記4:7ーまた、アルタシャスタの時代に、ビシュラム、ミテレダテ、タベエルとその他の同僚は、ペルシャの王アルタシャスタに書き送った。その手紙はアラム語の文字で書かれ、アラム語で述べられていた。
ダニエル書2:4aーカルデヤ人たちは王に告げて言った。ーアラム語で。ー
【新約聖書】
キリストの十字架の死よりも前の教え:律法が機能していた時代のユダヤ人への教え
パウロ書簡:異邦人信者宛て
黙示録:新約の預言書
教会時代の私たち異邦人信者が、学び、信仰生活の指針とすべきは、モーセの律法ではなく、異邦人の使徒として召され、異邦人の教会宛ての手紙と異邦人信者個人に宛てた手紙を書いたパウロ書簡です。
福音書からキリストが私たちのためにしてくださったことを知り、信じたのなら、次はパウロ書簡の教えの実践へと進むべきなのです。
ガラテヤ2:8ー ペテロにみわざをなして、割礼を受けた者への使徒となさった方が、私にもみわざをなして、異邦人への使徒としてくださったのです。
*ペテロ…十二使徒のリーダー。
*割礼を受けた者…ユダヤ人(割礼は、アブラハム契約のしるし)
*使徒となさった方…キリストご自身
*異邦人の使徒…パウロ。私たちは、パウロの『使徒』としての権威を認め、パウロの教えにもっと注意を払うべきなのです。
パウロ書簡には、
・牧師や教会役員の資質について
・礼拝について
・献金について
・罪や福音について
・義について
・結婚について
・夫や妻について
・子育てについて…などなど、異邦人教会として無視できない私たちの信仰生活に密着した教えがたくさん記されています。
その理解欠如により、肉的な信仰生活、教会運営となるのです。
パウロは異邦人の使徒として、私たちの信仰生活にそのまま当てはまる多くの教えを記していることを覚え、パウロが記したキリストの教えに従って信仰の歩みを続けていかれますように。