サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

最も大切な福音 〜使徒19:11~16, 1コリント15:2~5〜

使徒16:30~31そして、ふたりを外に連れ出して「先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか」と言った。

ふたりは、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」と言った。

 

 

パウロとシラスは『主イエスを信じなさい』と答えました。

これは具体的に、何を信じたら救われるということなのでしょうか?

 

当時のユダヤ人たちは、パリサイ人たちの指導によりイエスのメシアとしてのわざを『悪霊たちのかしら、ベルゼブルの力によるものだ』として退けてしまいました。

 

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ですから、彼らにとって『主イエスを信じなさい』とは、『悪霊のかしらベルゼブルと呼ばれるイエスを、考えを変えてメシアとして受け入れること』を意味していました。

 

 

そのような背景をあまり知らない私たち異邦人信者に、ただ「主イエスを信じなさい」とだけ伝えてもピンとはこないのです。

それぞれが勝手に解釈してしまい、ある人は

「イエスが神の子キリストだと信じること」と言ったり、

別な人々は「神が送られたイエスに信仰を働かせること」

「罪を悔い改めて、バプテスマを受けること」

「罪を告白し、十字架な贖いを受け入れること」と言ったりします。

 

 

聖書を知らない方が聞けば、どの答えもそれなりに『キリスト教』っぽく聞こえて(あぁ、そうなんだ)と思い込んでしまうでしょう。

しかし、私たちは質問に答える前に、聖書が何と教えているかを確認するべきではないでしょうか?

 

 

パウロは『宣べ伝えるべき福音』に関して、警鐘を鳴らしています‼︎

 

ガラテヤ1:6~7私は、キリストの恵みをもってあなたがたを召してくださったその方を、あなたがたがそんなにも急に見捨てて、ほかの福音に移って行くのに驚いています。

ほかの福音といっても、もう一つ別に福音があるのではありません。

あなたがたをかき乱す者たちがいて、キリストの福音を変えてしまおうとしているだけです。

 

 

*私…異邦人の使徒パウロ

*キリストの福音Ⅱコリント15:3~4福音の三要素

キリストは

⑴ 私たちの罪のために十字架にかかり…キリストを信じないから救われないのではなく、罪人となったアダムの子孫として生まれてきたために、生まれながらにして『死刑』を宣告されているわけです。死なない人間はいません。肉体が生きている間が刑の執行猶予期間。その間に霊的死の身代わりとなってくれたキリスト・イエスの十字架の死が自分の罪のためだったと信じることです。

 

⑵ 墓に葬られ…①肉体が完全に死んだこと、だけでなく、
②死してもなお律法を守られるという意味においても『罪がなかった』こと、
③全人類の罪のための『神の小羊』として死なれたけれど、霊肉ともにヒンノムの谷(ゲヘナ)に留まることなどあり得ない神の子であったことを意味します。

申命記21:22~23ーもし、人が死刑に当たる罪を犯して殺され、あなたがたがこれを木につるすときは、
その死体を次の日まで木に残しておいてはならない。その日のうちに必ず埋葬しなければならない。木のつるされた者は、神にのろわれた者だからです。あなたの神、主が相続地としてあなたに与えようとおられる地を汚してはならない。

 

当時、罪人の遺体は、ヒンノムの谷(ゲイ ヒノム、ゲヘナ)で焼かれるのが、ユダヤ人の習慣でした。ヨシュア記7:15
しかし異邦人の国での『木にかけられて処刑』されたり、罪人の死体の処理は、猛禽類や犬(野獣)に食わせるのは、異邦人のやり方のようです。Ⅱ列王記9:36~37

 

⑶ 聖書に従って、三日目によみがえられた。

詩篇16:10ーまことに、あなたは、私のたましいを
よみに捨ておかず、
あなたの聖徒に墓の穴をお見せにはなりません。

詩篇49:15ーしかし神は私のたましいを
よみの手から買い戻される。
神が私を受け入れてくださるからだ。

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パウロは、この福音を次のように紹介しています。

1コリント15:2『どんな言葉でわたしが福音を告げ知らせたか、しっかり覚えていれば、あなたがたはこの福音によって救われます。

さもないと、あなたがたが信じたこと自体が、無駄になってしまうでしょう。新共同訳

 

 

3節では『私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって』と、福音の三要素をパウロ自身が受け、また宣べ伝えたキリストの福音であることがわかります。

その福音に反することを宣べ伝える者は、のろわれるべきだとガラテヤ1章で二度も言うほど重要な福音だということなのです。

 

 

その例ではないかと思える出来事が、

使徒19:11~16にあります。

19:11ー神はパウロの手によって驚くべき奇蹟を行われた。

*弟子…師の教えに従う者

*使徒…師から権威を託された者

パウロは使徒です。ガラテヤ2:8

 

19:12パウロの身に着けている手ぬぐいや前掛けをはずして病人に当てると、その病気は去り、悪霊は出て行った。

 

パウロが行なった『驚くべき奇蹟』は、パウロが宣べ伝えているイエスが真のメシアであるという証拠でした。

 

19:13ーところが、諸国を巡回しているユダヤ人の魔よけ祈祷師の中のある者たちも、ためしに、悪霊につかれている者に向かって主イエスの御名をとなえ、「パウロの宣べ伝えているイエスによって、おまえたちに命じる」と言ってみた。

*魔よけ祈祷師…ユダヤの中で悪霊を追い出す役割をになった人

 

 

それを見たある者たち(ユダヤの祭司長スケワの七人の息子たち)は、『ためしに、主イエスの御名をとなえ』て悪霊に命じました。

 

19:14ーそういうことをしたのは、ユダヤの祭司長スケワという人の七人の息子たちであった。

 

この出来事は、十字架の死と葬り、復活と昇天、さらにペンテコステ後の教会時代になった後のことです。

なのに、彼らの父親のスケワという人は『祭司長』だったということは、彼らが未だにユダヤ教の律法の下に生き、イエスのメシア性を否定している人々だったことがわかります。

 

19:15ーすると悪霊が答えて、「自分はイエスを知っているし、パウロもよく知っている。けれどおまえたちは何者だ」と言った。

悪霊は、イエスを敵対する相手として神の御子であることを知っています。 同じように、そのイエスを信じる者/敵としてパウロのこともよく知っているということです。

しかし、イエスを信じてはいない、本来ならサタン側にいるはずの祭司長スケワの息子たちが、悪霊に対しイエスの御名によって命じるというのは矛盾しています。だから「おまえたちは何者だ」となるのです。

 

19:16ーそして悪霊につかれている人は、彼らに飛びかかり、ふたりの者を押さえつけて、みなを打ち負かしたので、彼らは裸にされ、傷を負ってその家を逃げ出した。 

味方のはずのイエスを信じない者に対し、悪霊につかれている人が襲いかかり、ボコボコにするという出来事です。

 

 

キリストの福音を信じ、神の子どもとされた者のためにはたとえ何か失敗したとしても、神がすべてのことを働かせて益としてくださいます。

ローマ8:28ー神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。

神が父親として責任を取ってくださるというのは、感謝なことですよね〜。*\(^o^)/*

しかし、サタンは人を誘惑し、罪を犯させることが目的なので、その罪の責任は一切負いません。

 

ベルゼブル論争により、イエスのメシア性を拒否したユダヤ人たちは、今日でもメシアの来臨を待ち望み続けるユダヤ教であり、現在生きているユダヤ人全員がたった一日でも律法全体を守りきることができたら、メシアはすぐに来るという『ほかの福音』を信じ、それを人々に教える者たちなのです。

 

マタイ7:22その日には、大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言をし、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行ったではありませんか。』

 

出エジプトの10の災いのうち、最初の二つはサタンも真似したことから、ある程度のことは『神のようになりたい』サタンの力によってもできることがわかります。

イエスはここで「大ぜいの者」と言われていますが、キリストと同じ奇蹟を行う権威を与えられた使徒はそんなに大ぜいはいません。

 

『使徒』を名乗るのに必要不可欠な資格は、『キリストの復活の目撃者である』ということです。使徒1:22, 1コリント9:1

 

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ですから、現在2,000歳以上の人でない限り、それは『自称使徒』という偽者ということになります。

 

申命記4:2, 箴言30:6, 黙示録22:18~19と、聖書の最初、真ん中、最後と三度も繰り返して『みことはに付け足したり、差し引いたりしてはならない』と教えています。
 

キリストの福音の三要素に何かを付け足したり、何かを差し引けば、それはもはや『最もたいせつなこととしてパウロが宣べ伝えた福音』とは異なる『ほかの福音』となります。

 

どんなに熱心に『ほかの福音』に仕え、キリストの御名を唱えたとしても、終わりの日にはその信仰は無駄となってしまうものなのです。

 

 

そして、マタイ7:23にあるように『わたしはあなたがたを全然知らない。不法をなす者ども。わたしから離れて行け。』と言われてしまいます。

 

 

しかし、キリストの福音の三要素を信じた者は、

ガラテヤ4:9ところが、今では神を知っているのに、いや、むしろ神に知られているのに、どうしてあの無力、無価値の幼稚な教えに逆戻りして、再び新たにその奴隷になろうとするのですか。

*キリストの福音を信じて、救われた者は『神に知られる者』となり、いのちの書にその名が記されていて、決して消されることはありません。

 

*無力、無価値の幼稚な教えモーセの律法

キリストが十字架ですべて成就し、終わらせられたので『無効』となったために、このようにパウロは言っているのです。

キリストの福音を信じる者は、奴隷ではなく『神の子ども』なのです。ガラテヤ4:7

 

あなたの信仰の土台は、パウロが宣べ伝えた『最も大切なキリストの福音』と完全に一致していますか?

もし、疑問を感じたら1コリント15:3〜5を開いて、どこがズレているのかを確認してください。

今迄思い込んでいたことと聖書のみことばが伝えていることとに矛盾があった時、自分の考えをみことばに合わせて変えていくことが『悔い改め』であり、みことばによる『矯正』ですから…。主の祝福へと御霊の導きがありますようにー祈ー