サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

大切なこと

1コリント13:13-こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。

 

確かに使徒パウロは『一番すぐれているのは愛』だと記しています。だから多くのクリスチャンも「愛が大事」だと信じています。

もちろんアーメンなのですが、この文脈でなぜ『信仰や希望よりも “愛” がすぐれている』のかを理解することが必要ですよね。

 

一つ前の12節には、『今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。』とあります。

*その時…主から『栄光のからだ(復活のからだ)』をいただく時。ペンテコステ以降携挙までの教会時代の信者たちは、花婿であるキリストのお迎え『携挙』の時に、栄光のからだが与えられます。その時、私たちはキリストと『顔と顔を合わせて見る』ことになるのです。(旧約時代の義人たちと患難時代の聖徒たちは、キリストの地上再臨後〜千年王国までの75日間の移行期に復活のからだが与えられます。)

*今…この『朽ちる肉体』にあって、の意。

 

つまり、キリストの御国(千年王国〜永遠の秩序)に入ることが『希望』であり、入るのに必要なのが『信仰』ですが、入った後にも残るのはキリストとの『愛』の関係なのです。

 

このポイントを理解せずに、ただ『愛が大事だ』と言って聖書の真理よりも、いろんな人の立場や解釈を受け入れ合うというのは、この『朽ちるべき罪ある肉体の耳に心地良いこと』であって、神の真理からは遠く離れています。

 

「そんなのは排他的だ」と思われる方もいるかもしれませんが、キリストの教えを思い出してください!

マタイ7:13~14ー狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入っていく者が多いのです。

いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。

 

この『いのち』『いのちの道』こそがキリストであり、キリストは『神のことば=聖書のみことば』です。

ヨハネ14:6ーイエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。

 

ヨハネ1:1ー初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。

 

ヨハネ1:14ーことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。

 

 

パウロは、ベニヤミン族出身で、最も厳格なパリサイ人として生活しているときに、復活の主に出会い、キリスト者(メシアニックジュー)となり『異邦人の使徒』として召されました。

つまり、主イエスは異邦人を救い、異邦人を教え導くためにパウロを指導者として立てられたのです。

 

そのパウロが、当時の異邦人の教会の一つ『コリントにある教会』宛に書いた手紙の中にこの教えがあります。異邦人の教会と言っても、当時は多くのユダヤ人が国外に離散していましたから、パウロ福音を伝える優先順位として、まず安息日ごとにユダヤ人の会堂(シナゴーグ)に入って、キリストの福音をユダヤ人たちに語りました。

 

使徒18:1ーその後、パウロアテネを去って、コリントへ行った。

使徒18:4~5パウロは安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人とギリシャ人を承服させようとした。

そして、シラスとテモテがマケドニヤから下って来ると、パウロはみことばを教えることに専念し、イエスがキリストであることを、ユダヤ人たちにはっきりと宣言した。

 

キリストの福音を聞いても多くのユダヤ人たちは信じませんでした。

使徒18:6ーしかし、彼らが反抗して暴言を吐いたので、パウロは着物を振り払って、「あなたがたの地は、あなたがたの頭上にふりかかれ。私には責任がない。今から私は異邦人のほうに行く」と言った。

 

しかし、イエスをメシアだと信じるユダヤ人も起こされました。

使徒18:8ー会堂管理者クリスポは、一家をあげて主を信じた。また、多くのコリント人も聞いて信じ、バプテスマを受けた。

*会堂管理者…会堂(シナゴーグ)で行われる礼拝の司会、祈り、聖書朗読、勧めをする人を指名したりする人。一つの会堂に複数の管理者たちがいた。cf 使徒13:15

つまり、初代教会時代の『教会』は、ユダヤ人信者と異邦人信者とがともに『キリストにある一つのからだ』となって礼拝をささげていたのです。

 

なぜパウロは『異邦人の使徒』として召されたのに、どこに行っても異邦人よりもユダヤ人に先にキリストの福音を語ったのでしょうか?

そこには『神の選びの民』という優先順位があり、パウロは使徒として忠実に神のご計画に沿って活動しました。

 

罪を犯したエバに『女の子孫(メシア)が、蛇の子孫(サタン)の頭を踏み砕く』と仰せられた神は、堕落した世からノアとその家族を水の中から救い『女の子孫』を守られました。ノアの三人の息子たちの中から『セム』を選ばれ、セムの家系の中から『アブラハム』を選ばれ、全能の神として『アブラハム契約』を結ばれました。

 

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アブラハムには8人の息子がいましたが、アブラハム契約の継承者となったのは約束の子『イサク』です。イサクには双子の息子がいましたが、契約を継承したのは弟の『ヤコブ』です。ユダヤ人とは、この『アブラハムーイサクーヤコブを先祖に持つ者』のことですが、『ユダヤ民族』となるにはエジプトでの430年間という長い年月を要したのです。

 

一度は約束の地に住んだヤコブたちですが、飢饉によりエジプトに移住せざるを得ませんでした。しかし、その背後には神の摂理の御手がありました。先にヨセフをエジプトに送られ、約束の地でカナン人との雑婚が入り込んで来たこともあり、飢饉を用いてヤコブの一家70人をエジプトのゴシェンの地に住まわせ、ヤコブの12人の息子たちから出たアブラハム契約の継承者のみで『ユダヤ民族』にまで育てられたのです。

 

そして『モーセ』を立てて、エジプトの偶像の神々と全能の神が戦われ、契約の神【主】としてご自身を現されて、奴隷生活から彼らを解放しました。

 

出エジプト記6:7a, 8ーわたしはあなたがたを取ってわたしの民とし、わたしはあなたがたの神となる。

わたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに与えると誓ったその地に、あなたがたを連れて行き、それをあなたがたの所有として与える。わたしは【主】である。

*あなたがた…ユダヤ人

【主】…契約の神、約束を守られる神、の意。

 

それはイスラエル=ユダヤ人』を偶像の神々ではなく『真の神を礼拝する民』としての選びであり、偶像を慕うエジプト人(異邦人)には『イスラエルの神が【主】であることを知る』ためでした。

出エジプト記7:16bーヘブル人の神、【主】が私をあなたに遣わして仰せられます。『わたしの民を行かせ、彼らに、荒野でわたしに仕えさせよ。』

 

出エジプト記7:5ーわたしが手をエジプトの上に伸ばし、イスラエル人を彼らの真中から連れ出すとき、エジプトはわたしが【主】であることを知るようになる。

 

『女の子孫』の約束は、ヤコブの12人の息子たちの中のユダ部族に継がれました。ユダ部族の中では、ダビデの家系から母マリヤを通して『イエス』が誕生されたのです。

それは律法が与えらた民イスラエルが律法を守り切ることができなかったため、彼らの身代わりに613すべての律法を守られ、律法が『型』として教えたすべてのことを成就するためでした。

 

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この神の『選び』を理解せずに「イスラエルだけが神の選びの民だとするのはおかしい。不公平だ」と不満を述べてはいないでしょうか?

『神の選びの民』には神の律法が与えられ、律法を守る責任と祝福と同時に、違反した場合のさばきが与えられます。イスラエルは真の神を(出エジプトという体験によって)知る者として、『神の長子、初子』としての責任が重く与えられていることを、私たちは知らなくてはなりません。

 

出エジプト記4:22ーそのとき、あなたはパロに言わなければならない。

【主】はこう仰せられる。『イスラエルはわたしの初子である。

 

詩篇の作者も次のように記しています。

詩篇103:7ー主は、ご自身の道をモーセに、

そのみわざをイスラエルの子らに知らされた。

 

詩篇147:19~20ー主はヤコブには、みことばを、

イスラエルには、おきてとさばきを告げられる。

主はどんな国々にも、

このようには、なさらなかった。

さばきについて彼らは知っていない。

ハレルヤ。

*どんな国々…異邦人諸国

 

パウロは次のように記しています。

ローマ3:1~2ーでは、ユダヤ人のすぐれたところは、いったい何ですか。割礼にどんな益があるのですか。

それは、あらゆる点から見て、大いにあります。第一、彼らは神のいろいろなおことばをゆだねられています。

 

これでもまだ神の選びの主権を退けて、異邦人信者であるクリスチャンを『霊的イスラエル』とされますか?

ユダヤ人に神のいろいろなおことばを託したのに、ルカを『唯一の異邦人の福音書記者』だと主張できますか?

 

私たちが聞かされていることがすべてみことばと一致しているとは限らないのです。

サタンの目的は、聖書の真理に覆いをかけ、異邦人信者を高慢にし、キリストの福音を減らし、人々を滅びに至る広い道に誘導することです。本当の福音を信じるキリスト異邦人信者の数が満ちると携挙が起こり、神のご計画がまた一つ成就することになります。

 

教会時代の異邦人信者が反ユダヤ主義の思想を持てば、イスラエルのために祈ることも、ユダヤ人の救いのために祈ることもしなくなるので、神の民の民族的回心が遅くなり、キリストの地上再臨も起こりません。そうすれば、サタンの支配はそれだけ伸びることになるからです。

 

しかし、キリストの教えを託された使徒たちは、どこに伝道に行ってもまず福音をユダヤ人に語り、キリストの再臨を待ち望んでいました。それが希望だったからです。

異邦人の使徒であるパウロは、おそらくその思いが人一倍強かったのではないでしょうか?

 

ローマ9:2~5ー私には大きな悲しみがあり、私の心には絶えず痛みがあります。

もしできることなら、私の同胞、肉による同国人のために、この私がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたいのです。

彼らはイスラエル人です。子とされることも、栄光も、契約も、律法を与えられることも、礼拝も、約束も彼らのものです。

父祖たちも彼らのものです。またキリストも、人としては彼らから出られたのです。このキリストは万物の上にあり、とこしえにほめたたえられる神です。アーメン。

*子とされること出エジプト記4:22, エゼキエル書16章

*栄光出エジプト記13:20~21, ヨハネ1:14

*契約アブラハム契約、土地の契約、ダビデ契約、新しい契約

*律法モーセ(シナイ)契約による613の戒め

*礼拝出エジプト記3:18, 7:16, 律法による礼拝の規定、神への奉仕

*約束…メシア的王国(千年王国)の到来

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私たち日本人クリスチャンはどうでしょうか?

礼拝でイスラエルのために、ユダヤ人の救いのために祈っている教会がどれほどあるでしょうか?

旧約聖書という『律法と預言書』を託されたユダヤ人たちの教えを基にした新約聖書の解釈がどれほど広がっているでしょうか?

 

主イエスはこう言われました。

ルカ16:31アブラハムは彼に言った。『もしモーセと預言者との教えに耳を傾けないのなら、たといだれかが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない。』

 

最初に異邦人に伝道し、神の御国へ導き入れる救いの道を教えてくれたのは、一世紀のユダヤ人信者たちでした。彼らの働きがなければ、私たちは今も罪の暗闇の中をさまよい、何の希望もない滅びゆく民だったのです。

だからパウロはこう記しています。

ローマ15:26~27ーそれは、マケドニヤとアカヤでは、喜んでエルサレムの聖徒たちの中の貧しい人たちのために醵金することにしたからです。

彼らは確かに喜んでそれをしたのですが、その人々に対しては、その義務があるのです。異邦人は霊的なことでは、その人々からもらいものをしたのですから、物質的な物をもって彼らに奉仕すべきです。

 

これが、異邦人の使徒であるパウロの勧めです。私たちはみことばを託され、メシアが来られた神の選びの民に対して、特にメシアニックジューたちに対して義務をは果たすべきではないでしょうか?

 

しかし、長い教会時代の中でいつしか異邦人信者は高慢になり、自らを『霊的イスラエル』と称し、真のイスラエルを排除するようになってしまいました。それは旧約聖書という土台を失う根無しの信仰の原因となりかねません。

 

今こそ、初代教会のように聖書の教えの原点に立ち返るべきだと思います。

それにはまず、私たち一人一人の祈りから始めたいですね。

 

詩篇122:6aエルサレムの平和のために祈れ。

 

創世記12:3ーあなたイスラエルを祝福する者をわたしは祝福し、

あなたイスラエルをのろう者はのろわれる。

地上のすべての民族は

あなたイスラエルによって祝福される。