イエスの最後の一週間『受難週』の前半の出来事です。
ロバの子に乗ってエルサレムに入ってから、『神の小羊』としてユダヤ教の当局者たちから最終吟味を受けられていました。
当時の神殿は『強盗の巣』と化していました。cf マルコ11:15~17
エルサレムの神殿の『婦人の庭』の壁には、ラッパ状の受け口が13個付いた献金の壷が設置されていました。礼拝に来た男性は、この壷に献金を入れ、奥に進んで行きました。
マルコ12:41ーイエスはどのような思いで、人々の様子をご覧になっていたと思いますか?
金持ちたちは、沢山の銅貨を時間をかけて献金の壷に入れていました。
そのような『やり方』は、どのような心をあらわしていると思いますか?
日本は祭り時になると、神社仏閣などで誰がいくら献じたかを公にします。そこにはどのような『心』があると思いますか?
それが本当に信仰から出たものであるのなら、神が受け入れてくだされば良いのであって、人に知らせたり、他者が知る必要があるのでしょうか?
cf マタイ6:3ーあなたは、施しをするとき、右の手のしていることを左の手に知られないようにしなさい。
マルコ12:42ー貧しいやもめは、どのような生活を送っていたと思いますか?
*やもめ…未亡人。昔は男女とも未婚・既婚を問わず用いられた言葉ですが、現在は『既婚者』で夫または妻を失った人に使われます。
*レプタ銅貨…現在の日本円に換算すると、¥60~100程度です。
*1コドランド…当時の労働者の一日分の賃金『1デナリ』の1/64。
イスラエルには、やもめたちを守る律法がいくつもありました。cf 申命記14:28~29、24:17、24:21、レビ記19:9~10
しかし実際は、このような律法がないがしろにされていたことが、イエスのことばからわかります。
cf マタイ23:14ー[忌まわしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは、やもめたちの家を食いつぶしていながら、見えのために長い祈りをするからです。ですから、あなたがたは、人一倍ひどい罰を受けます。]
マルコ12:43ーなぜイエスは「献金箱に投げ入れていたどの人よりもたくさん投げ入れました。」といわれたのでしょう?
イエスは弟子たちに何を教えようとされたのでしょう?
マルコ12:44ー生活費の全部を投げ入れる…このやもめは、この後どうなると思いますか?
なぜ彼女はそのような行動をとることができたのでしょうか?
有り余る中から、少しずつ時間をかけて投げ入れる金持ちたちの姿勢には、人生についてのどのような考え方があると思いますか?
彼らの生活の基盤は何に頼っているのでしょうか?
このやもめは何に頼って、全財産を献金したと思いますか?
なぜ人は、全てを神に委ねて生きるのが難しいのでしょう?
人の人生は、誰によって支えられていると思いますか?
『神(かみ)』と『金(かね)』…たった一文字違いの言葉ですが、そこから得られる祝福には、それこそ雲泥の違いがあります。
あなたはどちらに頼った人生を送っていますか?
cf ルカ16:13ーしもべは、ふたりの主人に仕えることはできません。
一方を憎んで他方を愛したり、または一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。