最近、よく質問されるのが『三位一体』について。
聖書には『三位一体』ということばは出て来ないので、どのように説明したらいいのか?というもの。
みことばからその『実態』を説明するための聖書箇所を知りたい、とのこと…なので、私が思いつく範囲でここにまとめてみようと思います。
まずは、創世記1:1~3から…
創世記1:1ー初めに、神が天と地を創造した。
*神…ヘブル語:エローヒム。◯◯ヒームというのは『男性形の複数名詞』、つまり神は『御父(母ではない!)』『御子も男の子』ということがわかります。
複数形の男性名詞と言っても二つを指す言葉ではなく、ぶどうやバナナの『一房』のように三つ以上を意味する複数形。ここではもちろん『父なる神』を指して使われています。
創世記1:2ー地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた。
*神の霊…御霊。聖霊。
ヨハネ4:24ー神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。
創世記1:3ー神は仰せられた。「光があれ。」すると光があった。
*「光があれ。」…神が世界を造られた時、何かの材料を必要としたのではなく『神のことば』で造られました。それをヨハネが福音書の中で説明しています。
ヨハネ1:1ー初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
*初めに…創世記1:1と同じく、時間の存在以前の永遠の初め。
ヨハネ1:14ーことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。
*父のみもとから来られたひとり子…神のことば=父のひとり子=御子イエス・キリスト。
創世記1:1~3とヨハネの福音書1:1 & 14から『御父・御霊・御子からなる三位一体の神が、世界の創造主である』ことを説明できるのです。
御子イエスのバプテスマの記述にも注意深く読むと三位一体が登場していることがわかります。
マタイ3:16ーこうして、イエスはバプテスマを受けて、すぐに水から上がられた。すると、天が開け、神の御霊が鳩のように下って、自分の上に来られるのをご覧になった。
マタイ3:17ーまた、天からこう告げる声が聞こえた。「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。」
*天からの声…御父の声。
バプテスマを受けられた御子イエスのもとに、天から聖霊が下り、御父が愛する御子のバプテスマを喜ぶという声がありました。
*信じてバプテスマを受けることは、神に喜ばれることなのです。
ヨハネの福音書には、御子と御父が『一つ』であること、また聖霊(御霊)は御子と同じ働きをすることが記されています。
ヨハネ10:30ーわたしと父とは一つです。
ヨハネ14:16ーわたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。その助け主がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。
*もうひとりの助け主…『もうひとりの』というのは『同じような』という意味です。
イエス様は公生涯の間、多くの障害者、病気の者、四千人、五千人の給食、悪霊を追い出されたり、時には死人をよみがえされたりして、人々を助け(救い)、ご自分が『メシア』であることをお示しになりました。
イエス様の昇天後、七週の祭り(ペンテコステ)で下って来られた聖霊の働きにより、使徒たちと使徒たちによって按手を受けた弟子たちは、イエス様と同じ奇跡をして『イエスがキリストであること』を宣べ伝えて歩きました。
ヨハネ14:17ーその方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。
ヨハネ14:18ーわたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。
働きにおいて御父と御子が『一つ』であるように、御子と御霊も『同じように』働かれるということです。
ヨハネ12:49ーわたしは、自分から話したのではありません。わたしを遣わした父ご自身が、わたしが何を言い、何を話すべきかをお命じになりました。
*イエス様は、御父から聞いたことを話してくださいました。
ヨハネ16:13ーしかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。
*同じように、御霊もまた『聞くままを話し』てくださるのです。
ヨハネ14:6ーイエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。
*『真理』であるイエス様に導くのが、御霊の働きです。
ヨハネ16:14ー御霊はわたしの栄光を現します。わたしのものを受けて、あなたがたに知らせるからです。
ヨハネ17:5ー今は、父よ。みそばで、わたしを栄光で輝かせてください。世界が存在する前に、ごいっしょにいて持っていましたあの栄光で輝かせてください。
御霊は、世界が存在する前に御子が御父といっしょに持っていた栄光(cf 創世記1:3)を現わします。
また、信者のうちに住まわれるのは御霊だけではなく、御父も御子も同じように内住してくださると、主イエスは述べています。
ヨハネ14:23ーイエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。
つまり、三位一体の神ご自身が、キリストを信じる者に内住してくださるのです。
パウロは書簡の中で、信徒たちが『教会』生活をするのに必要な『賜物』、誰に対する『奉仕』か、何のための『働き』かを記しています。
1コリント12:4ーさて、賜物にはいろいろの種類がありますが、御霊は同じ御霊です。
使徒2:38ーすると、ペテロが答えた、「悔い改めなさい。そして、あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。そうすれば、あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう。(口語訳。/新改訳と新共同訳は誤訳のため要注意!)
*聖霊は『賜物』ではなく、賜物をくださる第三位格の『神』です。
1コリント12:5ー奉仕にはいろいろの種類がありますが、主は同じ主です。
*すべての奉仕は、主なるキリスト・イエスの栄光を現わすためのものです。
1コリント12:6ー働きにはいろいろの種類がありますが、神はすべての人の中ですべての働きをなさる同じ神です。
ヨハネ6:44ーわたしを遣わされた父が引き寄せられないかぎり、だれもわたしのところに来ることはできません。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。
*御父は恵みをもってすべての人を救いへと招いておられます。その招きに応答するかしないかは、人間側の自由意思に任されています。
ヘブル書の著者は、キリストが『とりなし』をしてくださっていることを、パウロは聖霊が私たちのために『とりなし』をしてくださっていることを伝えています。
ヘブル7:25ーしたがって、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになります。キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。
ローマ8:26ー御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。
御子は現在、天において『大祭司』として、私たちのためにとりなしてくださっています。同じように、御霊も深いうめきとともに、私たちがどう祈ったらよいのかわからないことであっても、私たちの内におられる御霊が御父の御前にとりなしてくださっているのです。
エペソ2章では、一つの聖句の中に『三位一体』が記されています。
エペソ2:18ー私たちは、このキリストによって、両者ともに一つの御霊において、父のみもとに近づくことができるのです。
エペソ2:22ーこのキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。
死ぬことのない神が、神に造られた人類の神を無視した『自己中心』の生き方という罪の裁きから救い出すために、ご自分のひとり子イエスをなだめのそなえ物『神の小羊』としてささげ、人類を贖い出すために『死ぬために』人として送ってくださいました。
御子の昇天後は、御子の代わりに『もうひとりの助け主』として御霊を信者に内住させてくださいました。すべては神の一方的な『愛と恵み』であり、ご自分の御元に私たちを引き寄せ、愛の関係の中に導き入れるためなのです。
このような神は『聖書の神』以外にはいません。
イスラム教徒たちは、彼らの神アッラーのためにジハードで命を捨てます。
お釈迦様も文鮮明も、エホバの証人のチャールズ・T・ラッセルもモルモン教の創始者ジョセフ・スミスも亡くなったままです。
しかし、私たちの主イエス・キリストは、私たちの罪のために死んでくださり、三日目に復活してくださいました。このような神は他にはおられません。
だからこそ、『救いはキリストの御名により』『この道しかない』のです。
使徒4:12ーこの方(cf 使徒4:10ーナザレ人イエス・キリスト)以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。
高額なお布施や献金をしなくても、ただ御子の十字架の贖いを信じるだけで救われるのです。あまりにも簡単過ぎて、かえって難しく考えてしまう人も多いかもしれませんが、それこそが『神様の恵み』なのです。
エペソ2:8~10ーあなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。
行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。
私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。
*聖書のみことばを読み、学び、理解し、従った結果が『良い行ない』となって現れるのです。すべては神様の栄光を現わすためです。
イザヤ43:21ーわたしのために造ったこの民は
わたしの栄誉を宣べ伝えよう。