この手紙はパウロがローマの獄中にいた、AD61年頃に書いたものです。
『ピリピ人への手紙』は、エペソ人への手紙(3:1)、コロサイ人への手紙(4:10)、ピレモンへの手紙(9)とともに『獄中書簡』と呼ばれます。
パウロは第二回伝道旅行の時に、ピリピを訪れています。
使徒16:12ーそれからピリピに行ったが、ここはマケドニヤのこの地方第一の町で、植民都市であった。私たちはこの町に幾日か滞在した。
パウロとシラスの伝道により、紫商人ルデヤや看守とその家族が救われました。よく知られる聖句はこの時のパウロとシラスのことばです。
使徒16:31ーふたりは「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。」と言った。
こうしてピリピの町に福音が広がり、ピリピの教会だけがパウロがマケドニヤを離れて、伝道を続けていた時に経済的に援助していました。(ピリピ4:15~16)
ローマ15:26~27ーそれは、マケドニヤとアカヤでは、喜んでエルサレムの聖徒たちの中の貧しい人たちのために醵金することにしたからです。
彼らは確かに喜んでそれをしたのですが、同時にまた、その人々に対してはその義務があるのです。異邦人は霊的なことでは、その人々からもらいものをしたのですから、物質的な物をもって彼らに奉仕すべきです。
この手紙は、ピリピの教会の人々に対する感謝と、彼らが主イエスにある喜びに満たされているため、『喜びの手紙』とも呼ばれています。
喜びの源は、私たちにあるのではなく、『キリスト・イエスが何をしたか』にあるのです。
ピリピ1:1ーキリスト・イエスのしもべであるパウロとテモテから、ピリピにいるキリスト・イエスにあるすべての聖徒たち、また監督と執事たちへ。
*パウロとテモテから…二人が協力して書いた手紙だということ。(協力…十字架も元に力を合わせると、大きな力になるんだね。)
*テモテ…使徒16:1~3によれば、パウロはルステラでテモテに出会い、ピリピ伝道に同行させています。
*監督と執事たち…『教会の指導者たち』のこと。
ピリピ1:2ーどうか、私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。
パウロの手紙の書き方。
エペソ1:2、コロサイ1:2b、ピレモン3ー私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたの上にありますように。
ピリピ1:3ー私は、あなたがたのことを思うごとに私の神に感謝し、
*神に感謝し…パウロが感謝の対象としているのは、ピリピの教会の『人々』ではなく『神』にです。
パウロはピリピ滞在中に投獄されたり、むち打たれたりと辛い経験をしましたから、個人的には思い出したくもない町ではないかと思うのですが、パウロの視点は、自分の体験による感情ではなく、神が『ピリピの町に教会を誕生させてくださった』という神の恵みに焦点が合わされているのです。
使徒16:22~24ー群衆もふたりに反対して立ったので、長官たちは、ふたりの着物をはいでむち打つように命じ、
何度もむち打たせてから、ふたりを牢に入れて、看守には厳重に番をするように命じた。
この命令を受けた看守は、ふたりを奥の牢に入れ、足に足かせを掛けた。
ピリピ1:4ーあなたがたすべてのために祈るごとに、いつも喜びをもって祈り、
*喜び… パウロは自分が伝道に関わった諸教会の名前を挙げて、日常的に祈っていたのでしょう。そしてその度に、それらの教会を誕生させてくださった神の恵みを覚えて、感謝していたのでしょう。
ピリピ1:5ーあなたがたが、最初の日から今日まで、福音を広めることにあずかって来たことを感謝しています。
*感謝…ここでは具体的に、ピリピの信者たちが福音の働きをしてきたことに対し感謝しています。パウロの感謝の優先順位は、まず神に対して、そしてピリピの信者たちに対してです。この優先順位は大事ですね。
ピリピの信者たちは、経済的にもパウロの伝道旅行を支えてくれていました。
Ⅱコリント11:9ーあなたがたのところにいて困窮していたときも、私はだれにも負担をかけませんでした。マケドニヤから来た兄弟たちが、私の欠乏を十分に補ってくれたのです。私は、万事につけあなたがたの重荷にならないようにしましたし、今後もそうするつもりです。
*最初の日から今日まで…ピリピの信者たちは、パウロがローマの獄中にいる今に至るまで、ずっとパウロの働きを支援し続けていたのです。
ピリピ1:6ーあなたがたのうちに良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださることを私は堅く信じているのです。
*堅く信じている…パウロが確信を持っていたのは、次の四つ。
①ピリピの信者たちのうちに、神が『良い働き』を始められた。
*良い働き…霊的に死んでいた罪人が、神の恵みに応答し、信仰によって霊的に誕生すること。聖霊による働きによって、キリストを信じるようになること。
ヨハネ16:8ーその方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。
1コリント12:3bーまた、聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です。」と言うことはできません。
②霊的に新生した人は、霊的に成長していきます。この成長過程が『聖化』です。
③携挙の時に、キリストにある死者が復活し、地上にいるキリスト者たちは一瞬で栄光のからだに変えられます。これが『栄化』です。
義認・聖化・栄化 〜キリストの花嫁なる教会〜 - サザエのお裾分け
エペソ4:13ーついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。
1コリント15:52ー終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。
④『キリスト・イエスの日』が来るまでに、『神の良き』のみわざが完成する。
*キリスト・イエスの日…教会時代のキリストを信じる者にとっては、花婿のお迎えである『携挙』の時。この瞬間、教会時代のキリストを信じる『御霊の内住』のある者は、栄光のからだとなります。
※イエス・キリストは『主』であることを考慮すると、『キリスト・イエスの日』とは『主の日』のことであり、それは七年間の『患難時代』の裁きを意味します。
ピリピ1:7ー私があなたがたすべてについてこのように考えるのは正しいのです。あなたがたはみな、私が投獄されているときも、福音を弁明し立証しているときも、私とともに恵みにあずかった人々であり、私は、そのようなあなたがたを、心に覚えているからです。
*心に覚えている… ピリピの信者たちが、これまでしてくれた祈りと経済的援助を思い出している。
ピリピ1:8ー私が、キリスト・イエスの愛の心をもって、どんなにあなたがたすべてを慕っているか、そのあかしをしてくださるのは神です。
*キリスト・イエスの愛…人間的な『フィレオー』の愛、条件付きの愛ではなく、『〜にもかかわらず』の無条件の愛、十字架の贖いの死によってあらわされた自己犠牲の愛。自分のことではなく、相手の最善を願う愛。
ピリピ1:9ー私は祈っています。あなたがたの愛が真の知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになり、
*祈っています…祈りの内容は三つ。
①あなたがたの愛が真の知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かになるように…相手の最善を願うなら、『正しい真の知識とあらゆる識別力』が必要です。
ピリピ1:10ーあなたがたが、真にすぐれたものを見分けることができるようになりますように。またあなたがたが、キリストの日には純真で非難されるところがなく、
②あなたがたが、真にすぐれたものを見分けることができるようになりますように…本物と偽物とを区別できるように、の意。
『純粋な福音の種』と『遺伝子組み替えの福音の種』 - サザエのお裾分け
ピリピ1:11ーイエス・キリストによって与えられる義の実に満たされている者となり、神の御栄えと誉れが現されますように。
③あなたがたが、キリストの日には純真で非難されるところがなく、イエス・キリストによって与えられる義の実に満たされている者となり、神の御栄えと誉れが現されますように。
パウロは御霊によって与えられた啓示により、AD51年頃に記した『1テサロニケ人への手紙』、および、AD55~56年頃に記した『1& Ⅱ コリント人への手紙』の中で、『携挙』や『キリストの御座の裁き』について述べています。それら将来的なことを見据えて、これらのことを祈っているのです。
聖書をより深く理解するためには、各書簡の執筆年代も考慮し、どの時点でどこまで啓示されていたかを汲み取ることが必要ですね。