サザエのお裾分け

聖書を字義通り&文脈に沿って学び、理解したことの中からのお裾分け。内容は鵜呑みにせず、必ずご自分で聖書を開いて確認してくださいね。聖書理解の助けになれば幸いです。† 栄光在主 †

キリストの『身代わり』

私たちは『キリストの身代わり』と聞くと、何の『身代わり』だと思うでしょう?

ほとんどのクリスチャンは、

『私たちの罪の身代わりとして、十字架につかれ、死んでくださったイエス様』と思うのではないでしょうか?

 

罪とは何ですか?

「神を神としないこと」「自己中心」という答えが多いかもしれませんね。

間違ってはいないと思います。

でも、聖書的にはどうでしょう?

 

ローマ5:12~13そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして死が全人類に広がったのと同様に、――それというのも全人類が罪を犯したからです。

というのは、律法が与えられるまでの時期にも罪は世にあったからです。しかし罪は、何かの律法がなければ、認められないものです。

 

「神を神としないこと」や「自己中心」は、律法が与えられるまでの時期からあった『罪』ですね。

これはアダムとエバから引き継がれている『原罪』です。

 

しかし、パウロは『罪は、何かの律法がなければ、認められないもの』だと言っています。

その『律法』こそが、御使いを通してモーセによって与えられた613ある律法なのです。

 

使徒7:53-あなたがたは、御使いたちによって定められた律法を受けたが、それを守ったことはありません。

 

ガラテヤ3:19-では、律法とは何でしょうか。それは約束をお受けになった、この子孫が来られるときまで、違反を示すためにつけ加えられたもので、御使いたちを通して仲介者の手で定められたのです。

 

ヘブル2:2-もし、御使いたちを通して語られたみことばでさえ、堅く立てられて動くことがなく、すべての違反と不従順が当然の処罰を受けたとすれば、

 

 

では、律法は誰に与えられたのでしょうか?

私たち異邦人信者も『モーセの律法』を守る必要があるのでしょうか?

 

詩篇147:19~20-主はヤコブには、みことばを、

イスラエルには、おきてとさばきを告げられる。

主は、どんな国々にも、

このようには、なさらなかった。

さばきについて彼らは知っていない。

ハレルヤ。

 

*おきてとさばき…『律法と預言書』、つまり旧約聖書イスラエルに与えられたもの。

*どんな国々にもイスラエル以外の国には与えられていない。

 

ローマ3:1~2-では、ユダヤ人のすぐれたところは、いったい何ですか。割礼にどんな益があるのですか。

それは、あらゆる点から見て、大いにあります。第一に、彼らは神のいろいろなおことばをゆだねられています。

 

ユダヤ人が『神の選びの民』としてみことばを委ねられ、彼らを通して異邦人が真の神を知るように…というのが『出エジプト』の目的だったのです。

 

出エジプト記7:5-わたしが手をエジプトの上に伸ばし、イスラエル人を彼らの真ん中から連れ出すとき、エジプトはわたしが主であることを知るようになる。

 

出エジプト記7:16-彼に言わなければならない。

ヘブル人の神、主が私をあなたに遣わして仰せられます。『わたしの民を行かせ、彼らに、荒野でわたしに仕えさせよ。』ああ、しかし、あなたは今までお聞きになりませんでした。

 

*わたしの民を行かせ、彼らに、荒野でわたしに仕えさせよイスラエルの民を、エジプトの偶像の神々ではなく、荒野で真の神を礼拝する民とするのが神のご計画でした。

 

パウロは、異邦人はモーセの律法から除外された存在だったと言っています。

エペソ2:11~12-ですから、思い出してください。あなたがたは、以前は肉において異邦人でした。すなわち、肉において人の手による、いわゆる割礼を持つ人々からは、無割礼の人々と呼ばれる者であって、

そのころのあなたがたは、キリストから離れ、イスラエルの国から除外され、約束の契約については他国人であり、この世にあって望みもなく、神もない人たちでした。

 

『約束の契約については他国人であり、この世にあって望みもなく、神もない人たち』であった異邦人が、キリストを信じる信仰によってユダヤ人信者とともに『御国の民』とされたのです。

 

osusowake.hatenablog.com

 

つまり、律法とは『神の民』として選ばれたイスラエルに対しての基準であり、その基準を満たしていないことが『罪』なのです。 

だから、パウロはこう言っています。

 

ガラテヤ3:10ーというのは、律法の行ないによる人々はすべて、のろいのもとにあるからです。こう書いてあります。「律法の書に書いてある、すべてのことを堅く守って実行しなければ、だれでもみな、のろわれる。」

 

*こう書いてあります申命記27:26ー「このみおしえのことばを守ろうとせず、これを実行しない者はのろわれる。」民はみな、アーメンと言いなさい。

 

なぜ、イエス様は『ユダヤ人』として来られたのか?…の答えはここにあると思います。

イスラエルは被造物としての『人間』として、神の初子・長子です。

出エジプト記4:22ーそのとき、あなたはパロに言わなければならない。はこう仰せられる。「イスラエルはわたしの子、わたしの初子である。

 

神の御子がユダヤ人としてイスラエルに誕生され、自らを律法のもとに置かれました。

そして、イスラエルがどう頑張っても613ある律法をすべて守ることのできない『罪人』であったので、彼らの『身代わり』として律法をすべて守ってくださり、十字架の死によって律法を終わらせ、律法ののろいからイスラエルを解き放ってくださったのです。

 

モーセは奴隷となっていたイスラエルの民を解放し、イエス様は律法による『罪の奴隷』となっていたイスラエルの民を解放してくださった救い主です。

そればかりでなく、律法の外に置かれていた私たちのためにも十字架で『律法による隔ての壁』を打ち破り、ご自分を信じる者はだれでも真の神に近づける道を開いてくださったのです。

 

エペソ2:18ー私たちは、このキリストによって、両者ともに一つの御霊において、父のみもとに近づくことができるのです。

 

ヨハネ2:1~2-私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。もしだれかが罪を犯すことがあれば、私たちには、御父の前で弁護する方がいます。義なるイエス・キリストです。

この方こそ、私たちの罪のための――私たちの罪だけでなく、世全体のための――なだめの供え物です。

*私たちの罪モーセの律法を守りきれなかったユダヤ人の罪

*全世界のための…異邦人を含む被造物世界

 

初子・長子であるイスラエルの民は、責任も2倍です。

彼らは個人的にイエスを『メシア』として信じるだけでなく(異邦人の責任は、神対自分の信仰だけ)、イスラエル民族としてメシアであるイエスを信じ、礼拝する責任が課せられています。

 

現在のメシアニックジューたちは個人の救いを得た人々です。

神の長子として、イスラエル民族としての救いを得るのは、患難時代の終わりに起こることであり、そのときキリストの地上再臨が起こります。

神は決してご自分の民であるイスラエルを見捨てられたわけでも、私たち異邦人信者を『霊的イスラエル』として長子の身代わりにしたわけでもありません。

旧約の預言者たちが預言したとおり、必ずイスラエル民族の残りの者『レムナント』たちは御子イエスをメシアとして受け入れる日が来るのです。

 

イザヤ10:21ー残りの者、ヤコブの残りの者は、

力ある神に立ち返る。

*力ある神イザヤ9:6ーひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。

ひとりの男の子が、私たちに与えられる。

主権はその肩にあり、

その名は、「不思議な助言者、力ある神

永遠の父、平和の君」と呼ばれる。

 

ホセア6:1~2ー「さあ、に立ち返ろう。

主は私たちを引き裂いたが、また、いやし、

私たちを打ったが、また、包んでくださるからだ。

主は二日の後、私たちを生き返らせ、

三日目に私たちを立ち上がらせる。

私たちは、御前に生きるのだ。

 

もし、キリストの再臨を待ち望むクリスチャンであるのなら、イスラエルの民族的救いのために祈るべきでしょう。

イスラエルを祝福する者は、祝福され、

イスラエルをのろう者は、のろわれる。

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