創世記から黙示録まで聖書66巻を貫く神の契約は『アブラハム契約』です。
その条項は三つあり、『子孫』『土地』『祝福』です。
神は初め、アブラムには『全能の神』として現れました。もう老夫婦となっていたアブラムとサライに、神にとって不可能はないことを示す意味で、特に子孫の約束に関するときに使われている表現です。
アブラハムには合計八人の子どもが与えられましたが、『アブラハム契約』を継承したのは約束の子イサクでした。
そのイサクには「あなたの父、アブラハムの神」として現れました。
創世記26:24ー主はその夜、彼に現れて仰せられた。「わたしはあなたの父アブラハムの神である。恐れてはならない。わたしがあなたとともにいる。わたしはあなたを祝福し、あなたの子孫を増し加えよう。わたしのしもべアブラハムのゆえに。」
イサクには双子の息子たちが与えられましたが、『アブラハム契約』を継承したのはヤコブであり、そのヤコブには「アブラハムの神、イサクの神」として現れました。
創世記28:13ーそして、見よ。主が彼のかたわらに立っておられた。そして仰せられた。「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。わたしはあなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫とに与える。
ヤコブの時代に飢饉が起こり一家70人でエジプトに移住し、そこでユダヤ民族となるまで430年間滞在しました。最初の30年間は羊飼いとして、その後の400年間は奴隷として…そして、200万人を超えるほどにアブラハムの子孫が増えた時、神はモーセをリーダーに立ててエジプトの奴隷生活から救い出されました。
この時点で、子孫の約束はある程度成就していることがわかります。
となると、次に神が守るべき約束は、アブラハムの子孫に与えると言われた『土地』です。なので、モーセには『契約の神』を意味する【主】として現れました。
出エジプト記3:15ー神はさらにモーセに仰せられた。「イスラエル人に言え。あなたがたの父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、【主】が、私をあなたがたのところに遣わされた、と言え。これが永遠にわたしの名、これが代々にわたってわたしの呼び名である。
出エジプト記6:3ーわたしは、アブラハム、イサク、ヤコブに、全能の神として現れたが、主という名では、わたしを彼らに知らせなかった。
子孫と土地の約束は、イスラエル=ユダヤ民族(アブラハムーイサクーヤコブの子孫)のものです。
しかし、『祝福』の約束に関してはイスラエルだけでなく、アブラハムの子孫を祝福する者はすべて祝福すると約束されています。
創世記12:3ーあなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」
*地上のすべての民族…異邦人も祝福の対象
創世記18:18ーアブラハムは必ず大いなる強い国民となり、地のすべての国々は、彼によって祝福される。
創世記22:18ーあなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。あなたがわたしの声に聞き従ったからである。」
アブラハムの子孫として来られたイエスをメシアとして信じる者は、神の子どもとされる特権が与えられ、キリストとイスラエルと共に『共同相続人』となるのです。
ローマ8:17ーもし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。
それはアブラハムーイサクーヤコブの子孫であるイスラエルを差し置いて、神のすべての約束を異邦人信者が受け継ぐのではなく、キリストの福音を信じる異邦人信者が接ぎ木され、アブラハム契約の祝福に与る者となるということです。
メシアの初臨以降は、ユダヤ人であっても異邦人であっても1コリント15:3~4のキリストの福音を信じる者が、信仰によって義と認められます。ほかの福音では、救いはありません。
マタイ28:19bーそして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、
*ここでは「父、子、聖霊の御名」によるバプテスマを授けることが命じられています。
使徒2:38ーそこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくためにイエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。」
使徒8:16ー彼らは主イエスの御名によるバプテスマを受けていただけで、聖霊がまだだれにも下っておられなかったからである。
使徒10:48aーそして、イエス・キリストの御名によってバプテスマを受けるように彼らに命じた。
使徒19:5ーこれを聞いたその人々は、主イエスの御名によってバプテスマを受けた。
初代教会時代、「父、子、聖霊の御名」によるバプテスマが授けられた事例は一つもありません。すべて「イエス・キリストの御名」によるバプテスマです。
なぜ使徒たちは主イエスの命令である「父、子、聖霊の御名」によるバプテスマを授けずに、「イエス・キリストの御名」によるバプテスマを授けたのでしょう?
おかしいと思いません?
命令に背いたのでしょうか?
いいえ。マタイ28:19の「父、子、聖霊の御名」の「御名」はThe Name…単数形です。つまり、神でありながら『人』として来られた『人間となられた神の御子の名:イエス』だけが、人間が口にすることの出来る唯一の神のお名前です。
「父、子、聖霊の三位一体の神」の名として、使徒たちが知っていた(知らされていた)のは「イエス・キリストの御名」だけだったのです。
なぜなら、主イエスご自身がこう言われているからです。
ヨハネ17:26ーそして、わたしは彼らにあなたの御名を知らせました。また、これからも知らせます。それは、あなたがわたしを愛してくださったその愛が彼らの中にあり、またわたしが彼らの中にいるためです。
*あなたの御名を知らせ…父なる神様の「本質・実質」を知らせるということであって、「固有名」を知らせたのではありません。
イザヤ7:14ーそれゆえ、主みずから、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ。処女がみごもっている。そして男の子を産み、その名を『インマヌエル』と名づける。
しかし聖書には、御子が『インマヌエル』と呼ばれている場面はありません。『インマヌエル』とは、御子の本質であり、実質なのです。その意味は『不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君』…御子の本質は『力ある神』であり、『永遠の父』なのです。
イザヤ9:6ーひとりのみどりごが、わたしたちのために生まれる。
ひとりの男の子が、私たちに与えられる。
主権はその肩にあり、
その名は「不思議な助言者、力ある神、
永遠の父、平和の君」と呼ばれる。
七年間の患難時代の最後に生き残った1/3のユダヤ人は、この御子イエスこそが、彼らが待ち望んだ『メシア』だと受け入れ、その時キリストの地上再臨が起こります。イザヤはそのことも預言しています。
イザヤ10:21ー残りの者、ヤコブの残りの者は、
力ある神に立ち返る。
私たちは現在、御父の名として「ヤーウェ」「ヤハウェ」「エホバ」など、専門家が割り出した名前で表現し、偶像の神々と創造主を区別するために用いていますが、ちょっと考えてみてください。
神(御父)の名は、旧約聖書の中で確かに表記されています。新改訳聖書の旧約では、どこに御父の名があるかを【主】と太文字で表わしています。しかしへブル語で書かれた【主】と訳された御名は、子音だけで書かれており、母音がありません。そのため、発音することができないのです。
たとえば、「JPN」と表記されていれば、「日本」のことを表わすとわかります。しかし「ジャパン」なのか「ジャポネ」なのか「ヤーピン」なのか、発音までは分からないのと同じです。実際、私たち「JPN」の民は、「ニッポン」というのが正式名称であるとしています。
聖書に正しい発音が記されていないのに、考古学の発達に伴い、へブル語学者たちの見解に従って「ヤハウェ」と発音するのは、「神に従うより、人に従う」ことになりませんか?
出エジプト3:13ーモーセは神に申し上げた。「今、私はイスラエル人のところに行きます。私が彼らに『あなたがたの父祖の神が、私をあなたがたのもとに遣わされました。』と言えば、彼らは、『その名は何ですか。』と私に聞くでしょう。私は、何と答えたらよいのでしょうか。」
出エジプトを前にモーセは直接、神様にその「御名」を教えて欲しいと訴えています。それに対して神様の答えは「わたしは、『わたしはある。』という者である」(出エジプト3:14a)と答えておられます。
「わたしはある」というのが、神様の御名ですか?
いいえ。それは「自存的な方」であることを示す、御名の意味です。神様は固有名詞としてのご自身の御名は教えられませんでした。
十戒が与えられていたからでしょうか?
いいえ。この時点ではまだ、十戒は与えられてはいませんでした。
御霊(聖霊)には、たくさんの呼び名がありますね。「助け主」「注ぎの油」「真理の御霊」など。でも、どれ一つとして固有名詞ではありません。
使徒4:12ーこの方以外には、だれによっても救いはありません。世界中でこの御名のほかには、私たちが救われるべき名としては、どのような名も人間に与えられていないからです。
*この御名…イエス・キリストの名
父なる神様は、私たちを救うために御子イエスを与えてくださいました。その御子の名を全面に出すために「父、子、聖霊の御名」によるバプテスマの御名を The Name と単数形で命じられ、使徒たちはそれに忠実に、知ることが許されていた御子イエスの名によるバプテスマを授けていたのです。
聖書に明らかにされていないことは、あれこれと詮索せずに、初代教会の使徒たちと同じように「救い主なるイエスの御名」を宣べ伝えて行けば良いと思います。
なぜなら、イエスのヘブル語は「ヨシュア」=「【主】は救い」です。また、「インマヌエル」=「神は私たちと共にいる」です。つまりイエスの御名の中に御父の名が含まれているからです。
あっ☆ちなみに「エホバ」というのは、ユダヤ人が「アドナイ」と発音していた御父の名 “YHWH” に、へブル語の母音字 “edona” を挿入し、「YeHoWaH」にして始まった人造表現です。1278年、カトリックの修道士であったライムンダス・マルティーニが書いた『信仰の短剣』の中で考案されました。
人間社会でさえ、名前を間違えて発音することが失礼になるのなら、神様の御名を正しく発音しないことは失礼に値しないでしょうか?
神の御名に関しては、様々な見解があると思いますが、私個人としては、聖書に書かれた範囲を越えることは危険だと思っています。ですから、1世紀の使徒たちに倣って「イエスの御名」を宣べ伝えていきたいと思います。
使徒5:42ーそして、毎日、宮や家々で教え、イエスがキリストであることを宣べ伝え続けた。
使徒8:5ーピリポはサマリヤの町に下って行き、人々にキリストを宣べ伝えた。
使徒8:12ーしかし、ピリポが神の国とイエス・キリストの御名について宣べるのを信じた彼らは、男も女もバプテスマを受けた。
使徒8:35ーピリポは口を開き、この聖句から始めて、イエスのことを彼に宣べ伝えた。
使徒9:19b~20ーサウロは数日の間、ダマスコの弟子たちとともにいた。そしてただちに、諸会堂で、イエスは神の子であると宣べ伝えた。
使徒10:36ー神はイエス・キリストによって、平和を宣べ伝え、イスラエルの子孫にみことばをお送りになりました。このイエス・キリストはすべての人の主です。