ヨハネの福音書を読むと、主イエスは弟子たちや群衆にとても大切なことを伝えるときには、「まことに、まことに、あなたがたに告げます。」と言って話を始められました…ヨハネ1:51, 3:3, 3:5, 3:11, 5:19, 5:24, 5:25, 6:26, 6:32, 6:47, 6:53, 8:34, 8:51, 8:58, 10:1, 10:7, 12:24, 13:16, 13:20, 13:21, 13:38, 14:12, 16:20, 16:23, 21:18
意味は『これから話すことは、とても重要なことだからよく聞くように』と注意を促すことばです。
そして、神のことばである聖書は、大事なことは何度も繰り返し伝えています。
なので、基本的なことを今回はもう一度まとめてみたいと思います。
【『神の国』の意味】
1)永遠の王国…私たちが信じる聖書の神は、永遠のお方です。その神が支配される『普遍的王国』のこと。
2)霊的な王国…人類の祖アダムから始まって、罪(原罪)ある肉体で生きている人々がいる千年王国の終わり、つまり人類の歴史の終わりまで。さらに信者の場合は、その後の栄光のからだで生きる永遠の秩序へと続きます。
3)神権政治の王国…モーセの律法からバビロン捕囚前の南ユダ王国最後の王ゼデキヤまで。
4)奥義としての王国…『ベルゼブル論争』でイスラエルの民がイエスのメシア性を民族として拒否した時から、患難時代の終わりにイスラエルのレムナントがイエスをメシアとして受け入れる時まで。
5)メシア的王国/千年王国…患難時代の終わりにイスラエルのレムナントが、詩篇118:25~26の意味で正しく「ホサナ」と民族として祈った時に、その祈りに応えてキリストの地上再臨が起こります。
再臨のキリストが千年王国の第四神殿の御座に着座されると、千年間の『メシア的王国』が始まります。
【千年王国に『入ること』と『受け継ぐ』ことの違い】
マタイ5:20ーまことに、あなたがたに告げます。もしあなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に、入れません。
*天の御国に、入れません…ここでイエス様は『御国に入る』ために何が必要かを教えておられます。
*律法学者やパリサイ人の義…律法を守るために人が後から付け加えた『口伝律法』を守ることによって得ようとする『行いによる義』。
*律法学者やパリサイ人の義にまさるもの…イエス様を『メシア』だと信じる『信仰による義』。
何を信じれば『信仰による義』を得られるのかは、キリストによって異邦人の使徒となったパウロがはっきりと記しています。
1コリント15:3~4ー 私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、
また、葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、
もし、この『福音の三要素』以外のことを宣べ伝えているのなら、パウロはこのように記しています。
ガラテヤ1:8~9ーしかし、私たちであろうと、天の御使いであろうと、もし私たちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その者はのろわれるべきです。
私たちが前に言ったように、今もう一度私は言います。もしだれかが、あなたがたの受けた福音に反することを、あなたがたに宣べ伝えているなら、その者はのろわれるべきです。
異邦人の使徒パウローガラテヤ1:1, 2:8ーの権威を認める信仰であるのなら、『福音の三要素』を認め、信じ、告白し、人に伝えているか否かで、その人が本当の信者かどうか判断がつきます。
『福音の三要素』に何かが足りなかったり、何かを付け足したりしている人は、御霊の内住には至らない『ほかの福音』を信じている人ですから注意が必要です。
【四つの霊的状態】
①生まれながらの人ー救いを得る前の人間の霊的状態は『生まれながらの人』、つまり、神を神とせず自己中心に生きる『原罪』により、霊的には死んだ状態のまま肉体だけが生きています。
1コリント2:14ー生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらは彼には愚かなことだからです。また、それを悟ることができません。なぜなら、御霊のことは御霊によってわきまえるものだからです。
②霊的幼子ー信じて間もない者は、『みことばの乳/霊の乳』である初歩的教えを必要としています。
1ペテロ2:2aー生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。
ヘブル5:13ーまだ乳ばかり飲んでいるような者はみな、義の教えに通じてはいません。幼子なのです。
③肉に属する人ー救われてはいる者の信仰者としての歩みである、みことばの通読、みことばの学び、信仰の友との交わり、礼拝、祈り等を疎かにすると、霊的成長はそこで止まります。止まるだけでなく、肉の弱さ、罪の性質に引き戻されて、後退してしまいます。
ガラテヤ5:19~21ー肉の行いは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、
偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、
ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。前にもあらかじめ言ったように、私は今もあなたがたに言っておきます。こんなことをしている者たちが*神の国を相続することはありません。
*神の国を『相続できない』のであって、神の国に『入れない』わけではありません。モーセの律法を守り行なう『行ないによる義』よりも優る、キリストを信じる『信仰による義』を得た者はみな、神の御国に『入る』ことが許されています。
ガラテヤ1:2ーおよび私とともにいるすべての兄弟たちから、ガラテヤの諸教会へ。
*パウロが記した『ガラテヤ人への手紙』はガラテヤの諸教会宛てですから、受取人たちは肉の行いから抜け出せていない状態にあっても、みな『信者』だということです。
しかし、同じような罪を列挙されている黙示録の人々は、キリストの福音の三要素を拒否した『不信者たち』です。誰に対して語られたみことばなのか、文脈から理解することを忘れてしまうと、『信仰+良い行い=救い』だと勘違いしてしまいます。この区別はとても大切です。
黙示録21:8ーしかし、おくびょう者、不信仰の者、憎むべき者、人を殺す者、不品行の者、魔術を行う者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者どもの受ける分は、火と硫黄との燃える池の中にある。これが第二の死である。
黙示録22:15ー犬ども、魔術を行う者、不品行の者、人殺し、偶像を拝む者、好んで偽りを行う者はみな、外に出される。
④御霊に属する人ーキリストのうちに根ざし、正しい心でみことばに聞き従う人。その結果、豊かに御霊の実を結ぶ人。
ガラテヤ5:22~23ーしかし、御霊の御は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。
みことばを読む時は、
①字義通り
②文脈に沿って
③私的解釈をせず
④みことばをみことばで確認する
これらのことに気をつける必要があります。
教会でも聖書を通読するようにと励まされますが、『聖書の読み方』を教えてくれるところは少ないでしょう。どこを読んでも『あなた/あなたがた』も自分のこと、『私/私たち』も 自分たちクリスチャンのこととして理解していないでしょうか?
自分中心の読み方から『神中心』の読み方にしていかなければ、神が何を言わんとしているのか、神がどのようなご計画をお持ちなのか、いつまで経っても、また、何度通読してもなかなか理解することはできません。
神様視点で聖書を読んで、理解していくことができますように…。